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高齢ドライバーとその家族がお互いに当事者として免許問題に向き合うための対話法

2026 10/19
ブログ
2026年10月19日

【このブログの概要】
このブログでは、工藤勇一氏の著書『校長の力』を参考に、高齢ドライバーの免許返納や家族の対話問題を「当事者意識」と「自律」の視点から読み解いていきます。社会や家族に与えられるのを待つ「指示依存」を脱却し、お互いが真の当事者として向き合うための対話のあり方について考えていきます。


最近は日本中の至るところで文句の声ばかりが聞こえてきます。「政治のせいだ」「時代のせいだ」と誰かや何かのせいにする。その声がおさまらないのは、世界が急速に変化しているにもかかわらず、日本だけが停滞してしまっているからに他なりません。その大きな理由の一つは、私たち一人ひとりが自分自身が当事者であることをすっかり忘れてしまっているからではないでしょうか。

問題に対する解決策というのは、他の誰でもなく自分達が示していくほかないのです。対立が起きたときも、単に文句を言い続ければいいのではなく、対話をして合意することができるようにならなければなりません。結局のところ、私たち自身が行動を起こすかどうかの問題なのです。

日本の文化やメディアは、とても分かりやすい「対立の構造」を好む傾向があります。明快な対立関係を作った方が、ドラマとしてもヒットしやすく、視聴者も喜ぶ傾向にあるからです。その影響もあってか、日本は誰かから与えられるのを待つ姿勢が当たり前になってしまったように思います。こうした受動的な姿勢に慣れきってしまった人間は、うまくいかないことが起こるたびに他人のせいにするようになってしまいます。

本来、人間は誰もが主体的に生きるように生まれてきているそうです。しかし、社会が関われば関わるほど、人は主体性を失ってしまう。社会のおせっかいなこの行動が、人が自分で試行錯誤する経験を奪い取り、最も大切な主体性を失わせることになっているのだと感じます。

では、このような社会構造の中で、私たちはどのように向き合っていけばよいのでしょうか。この問題構造を踏まえた上で、このブログで考えたいのは「高齢ドライバーとその家族を真の意味で「当事者」にする」ということです。

社会からたくさんのことを要求されると、最優先事項がどんどんと積み上がり、人はハウツーに従って何とかしようとします。「何のための運転か」という最も本質的な問いの部分は忘れたまま、手軽なハウツーばかりを求めてしまうのです。

しかも、この質問をされると普通は「買い物や通院などの移動のため」と回答します。つまり、日本語でこの質問をする場合、運転とは「物理的にどの目的地に行くのか」と意味になってしまうわけです。でもこの運転は、移動するための「手段」に過ぎません。

そうではなく、単なる物理的な目的を超えて、自らの「運転の理想像」を問う必要があると考えています。「どのような人生を送りたいか」、という壮大な問いに広げてしまうと、今度は運転の話から完全に離れてしまうという矛盾が生じるため、自動車という枠組みの中で「自分はどんなドライバーでありたいか」という「理想像」を見つめ直すことが求められていると思います。そうでもしないと、そもそもどんな運転がしたいのか、何のための運転なのかを自分自身に問い直す機会すら持てないからです。

現代社会は一方が指示を出し、他方が指示に従うという「指示依存」の形が大半を占めています。指示されたことを適切にやり遂げる力も大切ですが、指示されることに慣れ過ぎてしまうと自分の判断で動けない人間になってしまいます。高齢ドライバー問題で高齢者が反発するのは、指示待ちになっていない、という意味ではとてもいいことだと考えられます。かえって、家族から言われて素直に免許返納する人がいたら、それは指示待ち人間の典型かもしれず、逆に心配な面があります。

私たちは高齢ドライバーやその家族を支援する立場だと考えています。主人公はみなさんです。だから自分の頭で考えること。いろいろな考えがあり、まとめるのは大変ですが、「どうしたらいいだろうか」とみなさんを当事者にするのが私たちの役割だと考えています。対話を通じて物事を解決できるように私たちが支援したいと考えています。多少手間も時間もかかりますが、何よりもこの問題を解決するための当事者として考えることになります。指示待ちとは全く正反対です。

私たちは基本的に高齢ドライバーと家族の間に入って裁定することはご依頼がない限り、ありません。揉めごとがある度に私たちが間に入っていけば、アドバイス等を待つことに慣れ、次第に私たちを頼る癖がついてしまいます。それではいつまでたっても自分達で問題を解決する力がつかず、人の判断待ち、意に沿った結論でなければ文句をいう。そんな他力本願になってしまいます。

みなさんに問題が起こったら、自分達で解決するための手段を探していくことができる、自律した行動をしてほしいと思います。自分達の問題は自分達で最後まで処理する、そんな力を身に付けて欲しいのです。

目次

感情を排除し、「最上位の目標」を共有する

高齢ドライバーにしても、家族にしても、それぞれが自分のことを振り返り、やり方を修正していくことが求められています。しかし、自分の思いを変えることはそう簡単ではありません。それでも自分の気持ちを直視して、どう収めるのかを考えなければならないのです。

それぞれが自分の考え方を修正できなければ、「対立をなくす」という目的は達成できません。対話をして合意を見つける習慣をつけ、自分達の問題を自分達で解決することが求められています。ここで重要なのは、「最上位目標を全員が共有していること」であり、最上位の価値や目標をみんなで共有することです。

注意すべき点として、「仲がいい家族だからうまくいった」は大間違い、ということです。話せば話すほど意見の違いが際立ち、時には売り言葉に買い言葉みたいな感情的な応酬が生まれてしまい、しこりが残ってしまいがちです。これは議論下手と言われる日本人には多いパターンです。こうした意見の対立が生じると、往々にして人間関係の中で折り合いをつけようとします。その結果、誰かが我慢をして意見を引っ込める、納得していないのに相手の意見を呑むことになれば、それがシコリとなり対立の火種にもなりえます。

この際、感情を問題にすると、きちんとした議論ができず結論が出ません。一人ひとり感じ方や考え方は少しずつ違って当たり前です。だから、完全にわかり合えた、意見がぴたりと一致する、ということはほとんどありません。それを前提とすべきです。

高齢ドライバーもその家族もお互いに良かれと思って発言をしています。つまり、上位の目標では一致しているのです。対立があるとすれば、ずっと下位の「手段」にこだわっているからです。だから「方法が違うのだとすれば、どこがどう違うのか」を冷静に考えてみようと問いかけることが大切です。つまり原点に立ち戻り、家族としての最上位の目標はないか、それをみんなで確認することです。そして、問題を解決すると何がどのように良くなるか、目標の実現に向けてどのような利点が得られるかということを検証します。

この問題を解決するために重要なのは、「感情に呼びかけてはいけない」ということです。高齢ドライバーもその家族も常に自らの感情をコントロールして、基本的に感情に訴えないこと。そのために最上位の目標を確認し、そこに合致しているかどうか、ずれていないかを問うことです。つねに家族全体としての利点は何かについて考える思考パターンを持つ必要があります。

最初からすべてうまくは回りません。家族一人ひとりが当事者となってトライアンドエラーを繰り返すことが必要です。この際、失敗することも大切です。小さな失敗をすると大きな失敗が起きにくくなります。失敗は体験を通して課題を理解し、解決力を伸ばすチャンスになるのです。

失敗を学びに変え、自律的な行動へつなげる

日本の社会はこうした最上位の目標を見つけ出し、合意形成をすることがとても苦手だそうです。多くの家庭では、運転の目的・目標が明確になっていません。目的や目標を理解していないと、ちょっとした意見の違いにこだわって感情的に対立します。

物事の決定にあたっては、目的と手段の階層構造を意識することが不可欠です。目標を実現するためにどんな手段を選べばいいのか。目標を実現するために手段が次の目標に変わっていき、それを実現する手段を新たに決めていく、そういう構造になっていなければなりません。

一番上の目標で合意できたのなら、その目標がひっくり返らないようにします。今行っている手段が上位目標を損ねてしまうようであれば改めます。多いのはいつの間にか下位の手段に目を奪われ、手段そのものが目的になってしまうことです。

先ほど触れた「単なる移動という手段」から「運転の理想像」への移行もまさにこの階層構造にほかなりません。重要なのは、主体的に生きる力、世の中を自分の力で歩んでいける力を身に付けることです。免許問題で足りないのは「運転の目的の合意」です。「どんな運転がしたいのか(運転の理想像)」という最上位の目標を家族全員で議論したことがないことです。運転の目的も目標も明らかにしないまま、各論にあたるテクニックばかり細かく論じていても仕方ありません。

運転の目的は人によってずいぶん違います。つまり、高齢ドライバーの価値観と家族の価値観は決して同じではないということを理解すべきです。人は迷ったり悩んだりします。判断しなくてはならないときに参考にするのは、それまでの習慣とか過去にこうだったという自分の経験です。それを基準にしか考えることはできません。だから人によって違いがあるのは当然です。様々な目的が出たら優先順位を付けて、何を一番の目的にするかを考えます。これで家族として目指す目的の優先順位が見えてきます。

免許問題の解決に関する困難は山ほどあります。準備もトラブルも自分達で解決しなければなりません。しかし、それが家族全員の一番の目的・目標なら前に進めるはずです。最上位に据える目標は家族全員がOKしたこと。誰かを切り捨てたり誰かが我慢しなければならなかったりするのは民主主義ではありません。免許へのこだわりは自分の中のほんの一部であり、その主張にエネルギーを使うよりもっと大事なものがあると分かってきます。自分がうまくいかないことがあると、すぐ人のせいにして生きる人間にならないために思考を整理することが必要なのです。

一人ひとりが自律した運転ができるようになるために大切なのは、何をする必要があるかを自分で考え気付くことです。そして、何がわかって何がわからないのかを認識すること。そして最も重要なのが、わからないものについて自分で調べたり他人に聞いたりするという行動を繰り返しながら、疑問を解消する方法を身につけることです。これにより、安全運転に向かう姿勢・行動は自律型に大きく変貌できると考えています。

家族がすべきこと、それは高齢ドライバーが何らかのトラブルを起こしたら、トラブルを学びに変えて高齢ドライバーの成長につなげていくことです。家庭内の免許問題に関わるすべての人を当事者にすることが重要です。

「高齢ドライバーにとって何が一番よいことなのか」を考え、「家族はどのような役割をすればいいか」を軸に対話を進めること。課題を認識し、共有する。全員が一致できる方向がはっきりしたら、それを実現する方法を探ります。この際、家族の誰かから一方的に指示されるのではなく、当事者になるとがぜんやる気が湧きます。一人ひとりが当事者になれば、指示を待っていることに意味がないと気づくことができます。

人は自分へのこだわりが強く、一つの考え方に固執したりこじらせたりして自分を変えていくことがむずかしいものです。特にそれまで自分でやってきたことが間違いではなかったと信じている人は、変わること抵抗感を感じるのは当然です。自らの成功体験を否定することにもなるため、自分の価値観を変えていく作業は極めて難しいものなのです。人の価値観を変えていくためには、「手段が目的化していないか」「そもそも何のためか」を常に問いかけなければなりません。その場合、自分自身を変えることができるのはあくまでその人自身でしかないため、それを覚悟しておく必要があります。

そのうえで当事者意識を持つためには「課題の概念化」、簡単に言うと自分自身を俯瞰的に見る目が必要となります。人は考え方の違いがあるだけで感情的な対立になりがちです。そうした自分自身の傾向を認めて課題を自覚することが大切です。「人間は考え方が違うと、どうしてもイラつく。ついつい感情的になって相手を怒鳴ってしまう。でもそれはあなただけではない」「私もそうです」という共感も大切です。相手を否定せず、程度の違いこそあれ人間はそういう生き物だから、そこをコントロールしないとうまくいかないと考えます。

一度理解できると、どこがどうダメだったのか全体が見えてきます。一つのことを発見したら、あとは自分で応用できるような修正が可能になります。一つの大きな気付きがあると、次は自分で気づきます。自分の課題を家族にさらけ出すことができるようになれば、家族の雰囲気は劇的に変わっていきます。例え意識が変わったとしても、すぐに行動が変えられるかは別の話です。その人それぞれが自分自身を変える必要があり、家族がそれをフォローすることが必要です。家族が変化していかなければ問題は解決できません。

理性と対話によって、多様性の中で合意を形成する

対立においてすべきことは、感情的な問題は一度置いておくことです。そして、事実を整理すると実は対立していないこともあります。手段や考え方が違っているだけのことも多いのです。問題は感情的になっていることであり、これを抑えることが大切です。

現役を引退して家にいるのだから、与えてもらうことや何かしてもらうことばかり期待するのではなく、自分から家族のために動くという発想も必要ではないでしょうか。否定の言葉からはじめないコミュニケーションの仕方の中に、さまざまなヒントが隠れています。

ここで「心と行動、どちらが大事か」という問題を考えてみます。奈良県の薬師寺の僧侶の話に「心の持ち方、あり様によって行動が変わり、行動を変えると心を変えることができる」というものがあるそうです。心が行動を決め、行動が心を変える。こころと行動の密接な関係を捉えた興味深い話です。

人はときどき心にこだわることがあります。自分をみつめ、自分の生き方を深く考える。それは自分を成長させるためにとても大切なことです。しかし、心にこだわりすぎると、良いことをしようと思っても、人目を気にするあまり臆病になってしまうことがあります。良いことをしても否定的に捉える言葉が聞こえてくることがあるのも、残念ながら人の世の現実です。

優しいことをしたいと思っているが人目を気にしてできない人と、純粋な理由ではないけれど良いことをしている人、どちらが人として価値があるでしょうか。人は行動の積み重ねでこそ評価をされていくものです。そもそも人の心の中など簡単にわからないし、自分の心さえよくわからないこともあります。だから善い行いをしている人をけなさない。そして良いと思うことはできる限り行動しようということです。

もちろん、交通事故を防ぐためには安全運転マインドの強化も欠かせません。心のありようが行動を規定する面も確かに存在します。しかし、目に見えにくい「心」だけにこだわりすぎて立ち止まっていては、具体的な安全行動への変容は生まれません。だからこそ、心を全否定するのではなく、「行動を変えることで心も変えていく」という実践的なプロセスこそが重要なのです。

免許の問題を解決するためには、家族一人ひとりが自分の価値観を揺さぶられる体験をしなければなりません。揺さぶられるところから変化が始まるのです。

自律型の人間に育てるときの基本は次の「3つの言葉」です。

  1. 「どうしたの」(相手の状態を知ること)
  2. 「どうしたいの」(意思を問いかけること)
  3. 「何か手伝えることある」(見守っていることを伝えること)

答えを与えてもらうのではなく自分の思いや意思を表現し、自分を肯定してくれる環境の中で自分自身で決めることが大切です。

言行一致や心技体など、日本人は行動と心とを結びつけ考える傾向が強いと言えます。生き方や行動と心とは一致しているはずだ、と思っている人も多いでしょう。そのような日本独特の「心」を中心に置いた考え方が、時には民主的な社会を維持しようという方向と噛み合わないこともあります。

声の大きい人の意見にしたがっていれば決める力はつきません。自分たちで決める習慣がないからです。サービス過剰な環境に慣らされ受動的な姿勢で生きていれば、判断する力は育まれません。複数の課題がある時にどれを優先すべきか決められないため、手段に過ぎないことが目的化してしまいやすくなります。

優先順位を付けることが下手で一番大事な目標が何であるかがよくわかっておらず、違う意見とどう向き合っていけばいいかもわからない、感情的な対立になりがちなのも、しっかり訓練をしていないからです。違う意見に対して感情をコントロールしながら冷静に考えていく習慣をつけること、そして対立がおきるたびに「何のためにこの議論をしているのか」というそもそもの目的に立ち返って発言を繰り返すことが対話の基本です。理性的に物事を考えないと対立は解消できません。

日本では「心の教育」が大切にされてきました。しかし心の教育はある意味「曖昧」です。理性的に考えて行動を決めることも心の教育であり、人の気持ちや感情を大切にして行動することも心の教育だからです。そのため、対立を解消する際、人の気持ちや感情を大切にし過ぎてしまう傾向があります。しかし人の心は簡単には抑えられず、変えることもできません。

そのため、強い憎しみがあったときに「この憎しみが消えないうちは対立を解決できない」ということになってしまいます。むしろ、感情はどうにもならないとあきらめて、理性的に物事を考えることによってこそ、お互いがその後も平和に暮らすための方法を見つけることができます。心の教育は大切ですが、心が育つことを待っていてはいつまで経っても問題は解決できません。心をコントロールし、理性的に行動を変えていく知識とスキルこそが大切であり、これこそが真の「心の教育」と言えます。

主体性と当事者意識を持って社会を変えていくこと。自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、判断して行動し、それぞれに思い描く幸せを実現してほしいと思います。

世の中は多様性を認めれば認めるほど、当然の帰結として様々な矛盾が生じ、苦しくなります。対立が起きたとき「どちらが上位概念か」という判断ができると、二項対立で平行線に見えるものが上位概念で握手できるようになります。問題が生じたらその都度解決方法を考え、上位概念を握手できれば問題が解決します。

「自分で決めていいよ」というと、人が目を輝かせはじめます。誰かに押し付けられたことではなく、自分達で自律的に考えるときのパワーがあるのです。目指すのは、誰もが多様性を受け入れ、そこで起こる対立を当事者として対話し、合意できる力を持つこと。そのための覚悟を決めることです。

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