空の安全を陸へ パイロットの極限の安全意識に学ぶ 自動車で事故を起こさないための術

日常の移動手段として当たり前になっている自動車の運転。しかし、ひとたび重大な事故を起こせば、自分や他人の人生を一瞬で奪い去る危険性を秘めています。そこで、より厳しい安全意識と判断力が求められる「航空機の世界」のノウハウを、私たちの日常の運転に取り入れたらどうなるでしょうか?今回は、私自身の大学時代のグライダー操縦体験と、書籍の著者である航空機機長の知見から、道路上で事故を起こさないための術(すべ)を考えてみたいと思います。

グライダーで叩き込まれた「恐怖」と「先の先を読む力」

エンジンなき航空機 グライダー

私の大学時代を振り返ると、教室で勉強した記憶よりも、滑空場(グライダーを離着陸させる場所)で部活に明け暮れた思い出が強く残っています。私が入部したのは「航空部」。こう聞くと、鳥人間コンテストやハンググライダーを想像されるかもしれませんが、乗っていたのは正真正銘のグライダー(滑空機)です。見た目は小さな旅客機のような形ですが、一人乗りまたは二人乗りとなっていて、飛ぶためのエンジンは搭載されていません。

離陸時は機首に取り付けたワイヤーをウインチ(大きなエンジン付き巻き上げ機)で猛スピードで巻き取り、一気に上空へ駆け上がります。上空に出たらワイヤーを切り離し、目に見えない「上昇気流」を探しながら大空を飛ぶのです。

「気持ちよさそう」の裏にある極限の緊張感

「空を飛ぶなんて、風を切って気持ちよさそうですね」と言われることがよくあります。しかし、現実はのんびりフワフワ飛んでいる時間などほとんどありません。空中では、周囲の気象変化、他機の動き、風向き、高度を常に観察し、「先の先」を読み続けなければなりません。搭乗中は「五感」をフル活用して操縦桿を握り、頭をトップスピードで回転させています。体を猛烈に動かすようなスポーツではありませんが、地上に降りて帰宅すると、ドッと押し寄せる疲労感に倒れ込むように眠る、という日々を送りました。

そんな航空部で最も叩き込まれたのが「徹底的な安全意識」でした。少しでも不安全な判断や行動をとれば、その日の活動終了後にきつい「お咎め」が待っていました。反省の意味を込めて、広大な滑空場の端から反対側にある管制塔まで走らされ、汗を流しながら「二度と安全を疎かにしない」と心に誓う日々でした。

初ソロフライトで先輩から教えられた「恐怖」の意味

今でも忘れられない言葉があります。それまでの訓練が実を結び、初めて一人で空へ飛び立つ「初ソロフライト」の直前、先輩からこう問われました。

「怖いか?」

私は正直に「怖いです」と答えました。後から知ったのですが、もしここで強がって「怖くないです!」と答えていたら、先輩は絶対にその日に私を飛ばさなかったそうです。恐怖を知らない人間は、絶対に事故を起こす。ある意味で「初心を忘れてはいけない」という教えだったのだと思います。私が生まれて初めてグライダーに乗せていただいたときの記憶。それは「恐怖」以外の何物でもありませんでした。 レールのないジェットコースターに放り出されたような感覚。機体を大きく傾ければ、翼の先端が眼下の民家にぶつかりそうに見え、激しい風切り音で無線の声すら聞き取りにくい。

しかし、無事に着陸を果たしたときの満足感と大空の魅力に取り憑かれ、私は卒業までの4年間、どっぷりとグライダー中心の生活を送ることになりました。

この時、身をもって知った「恐怖を感じるからこそ、適度な緊張感を生み、徹底的に先を読みながら、安全に執着する」という精神は、その後の私の人生における「安全への考え方」の原点となっています。

空の危機管理を陸へ『機長の判断力』が明かす安全の真実

自動車と飛行機の決定的な違い

大学卒業とともにグライダーの世界からは離れましたが、私は今でも飛行機の事故や安全運航に関する書籍を愛読しています。本を読み終わっていつも感じるのは、飛行機と自動車には大きな違いがある、ということです。 決定的な違いは、車はもしエンジンの調子が悪くなったり不安を感じたら、道路の脇に停車することができることです。しかし、飛行機は上空で「調子が悪いからちょっと飛行機を止める」ということが一切できません。そして、もし事故を起こすと何百人という犠牲者が出ることです。

その分、飛行機の操縦には自動車を遥かに上回る高度なリスク管理と安全知識が求められます。そして、その極限で培われたノウハウは、私たちが日常で車を運転する際にも威力を発揮するのではないか、と考えています。

最近読んだ、航空機機長である坂井優基氏の著書『機長の判断力』には、ドライバーの私たちが今すぐ取り入れるべき安全に対する考え方が詰まっています。同書は、航空機の安全運航にをベースに書かれたものですが、このブログではその本質を分かりやすくお伝えするために、引用文中の「フライト」「操縦」といった表記を一部「運転」「走行」などに置き換えて、斜字でご紹介します。

行動の裏にある「思考」

「副操縦士からの質問で多いのが技術に関する質問だが、優秀だと感じた人からは『何を考えていますか』という質問があった。機長の行動を見れば何をどうしているかはわかる。しかし、何を考えているかは聞かなければわからない。本当に重要なのは表面的な行動ではなく、何に着目してどんな情報を集め、何を考えているか、ということだ」

車でも「運転が上手くなりたい」と考えて運転が上手な人の表面的な動作だけを真似しても意味がありません。「あの人はなぜ今、アクセルを緩めたのか?」「どこを見てリスクを察知したのか?」という裏にある思考のプロセスに着目することの重要性を示しています。

また、目標設定についてもプロのパイロットは徹底しています。

「一番重要なのは正しい目標の設定。目標が決まったらあらゆる角度から制約条件を考え、その制約条件を満たしながら目標に到達する手段を考える。さらに適切な余裕を持たせ、途中での判断基準点を作り、撤退の条件を明確にしておく。上手くいかない場合の代替手段についても考えておく」

これは、高齢ドライバーが安全運転を志すときに取り入れるべき、私たちが提唱する「DCP(運転継続計画)」や「運転のエンディングノート(返活)」の考え方そのものです。単に「いつかは運転をやめる」という抽象的な目標ではなく、「仕事を辞める80歳まで運転する」「安全運転のために夜間の運転は控える」「小さな接触事故でも起こしたら免許返納を検討する」「免許返納後の移動手段(バス・タクシー等)を確認しておく」という計画をあらかじめ立てておくことの大切さを教えてくれます。

エラーを引き寄せる「スレット」と「タイタニック症候群」

「エラー(事故)が起きやすい直接的な原因ではないが、遠因にあたる要素を「スレット(様々な脅威)」という。例えば「約束の時間に遅れそう」「イライラしている」といった状態では時間のスレットがある。焦っていたり時間に追われているとついチェックが疎かになり、いつもは時間をかけている行為を短時間でちらっと見るだけになると、エラーが起きやすくなる。」

「「自分にとって都合の悪い情報があった場合に都合の良い情報を集めたり、心の中で合理化して自己正当化を図り、無理やり一つの方向に持って行こうとすることを「タイタニック症候群」という。自分の心の中で合理化をして事態を軽く見る動きには断固戦わないといけない。二つ以上のシグナルが点灯したときは、最大限の注意を払い、最悪のシナリオを想定して手当をする必要がある。」

小さな異常シグナルが2つ以上重なった時、「まあ大丈夫か」と都合よく解釈するのではなく、「何か重大な事態の前兆かもしれない」と最悪のシナリオを想定して手当てをする。空の安全のプロは、この「自己正当化との戦い」を徹底しているのです。

墓石行政(ツームストン)からの脱却――事前対策の重要性

「危機管理には、事前対策と事後対策がある。アメリカ人は事故が起きて初めてその交差点に信号機を設置するような行為を「ツームストン行政(墓石行政)」と呼ぶ。一方、事故が起きる要素をあらかじめ無くし、事故そのものが起きなくなるようにするのが事前対策。事前対策の方が事後対策よりもはるかに少ない費用や人間で実施できる。」

事後対策は問題が目に見えるため予算や人が動きやすいですが、事前にリスクを予測して事故そのものを防ぐ「事前対策」の方が、遥かに少ないコストで、何よりかけがえのない命を守ることができます。

「他山の石」として事故を自分事化し、事前に備える

事故ニュースを「対岸の火事」にしない

『機長の判断力』の中で、リスクマネジメントの根本に関わる非常に重要な指摘があります。

「人間が犯すエラーや世界で起きた事故には基本的に同じ要素がある。そして重要なのは、どんな事故も「自分事」として考え、対策を取ることだ。対岸の火事と考えて、違う理由を探せば無限にに見つかる。他山の石と考え、その理由を探しても無限に見つかる。リスクマネジメントの基本は、社会で起きているすべての事象を対岸の火事ではなく、他山の石と見ることだ。」

ニュースで痛ましい事故を見るたびに、「自分は高齢ドライバーではないから関係ない」「相手の運転が下手だっただけだ」と対岸の火事にしていないでしょうか?「もし自分が同じ交差点にいたらどう防げただろうか?」「自分が同じような焦りを抱えていたらどうなっていただか?」と「他山の石」として思考シミュレーションを行うことこそが、一生事故を起こさないための最強の訓練になります。

運転の勝敗は「エンジンをかける前」に9割決まる

「運転をする前はいろいろなことができる。運転をキャンセルすることもで、ルートや時間を変えることもできる。しかし、運転を開始すると選択肢が大幅に減る。目的地に近づけば近づくほど、選択肢が減る。出発前に運転する条件を一つでも変えることができれば、事故は防げる。だから、出発前に9割の準備が終わっていなければならない。」

車の運転もプロのパイロットと同じように「出発前に9割の準備を終わらせる」ことが極めて重要になります。

  • 出発時間を早めて「焦り(スレット)」を消す
  • 悪天候が予想されるなら、走行ルートを変更するか、運転自体をキャンセルする
  • 疲れが溜まっているなら、公共交通機関に切り替える

運転を開始する「前」であれば、私たちは自由に選択肢を選ぶことができます。事故につながる要素をあらかじめ1つでも排除しておくこと。これこそが、日常のドライバーが今すぐ実践できる最高の事前対策です。

安全に国境はない 思考を深め、さらなるステージへ

私の現在の活動の本質は、安全運転をしたいが、そのやり方がわからない、と悩む高齢ドライバーの方々が「なぜうまくいかないのか」の原因を探り、その人に合った解決策を共に考えることにもあります。

人間は一人ひとり、体力も認知の癖も違います。結果として同じ「ヒヤリハット」に見えても、その根本的な原因は人によって全く異なります。だからこそ、私たちは「こう運転しなさい」という単一のノウハウだけを教えるのではなく、「安全に対する原理原則と考え方」を伝え、ご自身で考えてもらうことが大切だと考えています。

複数の正解と「思考の柔らかさ」

現実の道路上で起きる問題に、たったひとつの「絶対的な正解」はありません。 右に避けるべきか、ブレーキを踏み込むべきか。その決断には必ずメリットとデメリットが同時に存在します。固定観念に縛られた狭い環境にいると、全員が同じ考えに陥り、いざという時の柔軟な対処ができなくなります。

だからこそ、今回のように「航空機の世界」といった異分野の知見や、社会のさまざまな事故事例(他山の石)を知っておくことが重要なのです。多様な引き出しを持つことこそが、緊急時に命を分かつ「思考の柔らかさ」と「決断力」の源泉になります。

運転の上級者ほど「車以外の学び」を深めている

運転の名人、本当に事故を起こさない上手な人ほど、車の運転技術だけでなく、心理学や人間工学、航空機の安全管理など、他の分野の学びにも貪欲です。日頃から「安全とは何か」「どうすればリスクを排除できるか」と考え、学びを続けていくと、ある時一気に自分の技量や安全に対する見識がレベルアップする(ジャンプする)瞬間が訪れます。

その時、あなたはこれまでとは全く違うステージから運転を見渡し、心からゆとりを持った安全なカーライフを送ることができるようになっているはずです。「車に乗る前」のほんの少しの準備と思考の転換。 今日から、プロのパイロットの視点を持って、安全なドライブへ走り出してみましょう。

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