最近読んだ、佐々木圭一著『伝え方が9割』というベストセラー。この本に、いろいろな意味で強く、良い刺激を受けました。本書では、「ノー」を「イエス」に変える技術として3つのステップを紹介し、さらに「イエス」に変える7つの切り口を紹介しています。そして、こちらからのお願いを実現させるための答えは自分の中にあるのではなく、相手の中にある、と説明しています。本書で紹介されるすべての事例は、自分自身の行動を振り返ったときに思わず冷や汗が出るものばかりでした。
それでも「過去は変えられないけれど、未来は変えられる」の精神で、さまざまなシーンで今後活用してみたいと感じました。これ以外にも、本書では「強いコトバを作る5つの技術」というものも紹介されていました。これに関しても、自分の頭を金づちで殴られたような大きな衝撃を受けました。
これまでに様々な資料等を作成し、多くの方に説明してきましたが、そのときの自身の先入観としてあったのは「資料は内容さえよければいい」という考え方でした。しかし、本書を通じてタイトルの重要性を改めて知ることになりました。「タイトルと内容は一緒。タイトルを磨けば、内容も磨かれる」という真理。半信半疑ではありましたが、その真偽を確認するためには自分で実際にやってみるしかない。そう考えてまずは取り組むこととし、強いコトバを作る5つの技術のひとつである「ギャップ法」を試してみることにしました。
「言葉を練る」悪戦苦闘の末に見出した真意
コトバを作るのに参考にしたのが、『SLAM DUNK』の「お前の為にチームがあるんじゃねえ チームの為にお前がいるんだ!!」というセリフです。確かバスケットボールを通して描かれた青春漫画だったと思います。残念ながらこれまで読んだことがなく、このセリフの背景などはわかりません。それでもなぜか心に刺さる、そんな印象的なセリフでした。このセリフを、私たちの事業に応用するとどうなるかと考えてみました。
本書の中で紹介されている「ギャップ法」での作り方の手順は以下の通りです。
- 最も伝えたいコトバを決める。
- 伝えたいコトバの正反対のワードを考え、前半に入れる。
- 前半と後半がつながるように、自由にコトバを埋める。
久しぶりに「言葉を練る」という行為を実施し、メモ用紙にアイデアを書いてはゴミ箱に捨てるという、まるで漫画のような試行錯誤を繰り返しました。
その結果、伝えたいコトバとして「免許返納しないために安全運転する」が浮かび上がりました。この反対ワードは「安全運転するために免許返納しない」。そうして完成させたのが、次のような文章でした。
「安全運転するために免許返納しないのではない、免許返納しないために安全運転するのだ」
ここで違和感を覚えた。「あれ? ちょっとニュアンスが違うな…」。待てよ、もしかしてと思い、前半と後半を入れ替えてみました。
「免許返納しないために安全運転するのではない 安全運転するために免許返納しないのだ」
「おー、そういうことか。すごい!大発見だ!」これが、タイトルを磨くということなのだと深く実感しました。当初、私たちが安全運転を勧めるのは、免許返納をしなくても済むためと考えていました。しかし、これでは「免許返納」という手段が目的化していたということを、改めて知る結果となりました。あくまで私たちが目指すのは「安全運転」であり、これが目的ならば、言いたいことは安全運転をいかに実現するかであって、免許はそのためのアイテムでしかないのです。
そんな1時間強の悪戦苦闘を経て生まれたコトバが、ブログのタイトルでもある「免許返納しないために安全運転するのではない 安全運転するために免許返納しないのだ」です。
タイトルを磨いたことで「内容」はどう変わるのか
さあ、タイトルを磨けば、本当に内容も磨かれるのでしょうか。ここからが本番です。当初、免許返納をしないためには「安全運転をする状況を自ら構築し、それを周囲にも示すことが大切」と考えていました。しかし、「安全運転するために免許返納しない」となると、運転を楽しむためには安全な状態を維持しなければなりません。そのために免許が必須、というニュアンスに変わってきます。ここから、さまざまなことがインスピレーションとして湧き上がってきました。
「最初に安全運転ありき」とした場合、そのために普段何をしているでしょうか。多くの高齢ドライバーにインタビューすると返ってくる回答の多くは、「事故を起こさないように気を付けているよ」というものです。事故を起こしたい人は基本的にいないから、運転するほとんどの人は同じように考えています。しかし、そこを具体的に掘り下げて確認すると、この回答が呪文や合言葉のようになっていて、実態がほとんど伴っていないということに気付きました。
極端な話をすれば、定期的に神社に通ってお賽銭を入れてお参りし、お守りを買って車に置いておくことが安全対策だと言っているようなもの、という印象を受けます。信仰心というのも一種のマインドかもしれませんが、私たちが提唱するマインドとは全く異なるものです。前者は「受動的マインド」(神様に守ってもらう)、後者は「能動的マインド」(安全は自分で作るものだから、自分が行動しないと始まらない)と捉えることができます。この能動的マインドを阻害する最大の要因は何でしょうか。それは、「私は免許証を持っている、だから運転する権利がある」という考え方です。権利を主張するだけではなく、それとセットである「義務」を負うこと、つまり果たすべき役割があり、それを行動として示すことが重要なのです。
だからこそ、「安全運転をするために義務を果たす、そのためには免許が必要なので返納する必要はない」。これが、タイトルを磨いた私が、内容を磨いた結果なのです。
指導ではなく「材料の提示」がもたらす能動的姿勢
自分自身、周囲には「先入観を持ってはだめだ」と事あるごとに言っているのに、その本人が一番先入観を持っていました。とても恥ずかしいことですが、ここで分かったこともあります。それは、自分自身は自分に甘く、他人からの指摘によって自分の誤りに気付くことが大切だということです。
ただし、高齢ドライバーは自信家が多く、人の話を聞かないという話をよく聞きます。例えば、高齢者講習における安全運転に関するアドバイスなどもその一例です。それは、最後の「自分が決定するべきこと」まで一方的に指示しているからだと考えています。「皆まで言うな」という反発の気持ちなのでしょう。しかし、その手前の、「答えを考えるためのヒントを出す」のであれば、人はある程度抵抗なく聞き入れることができます。それは、最後の物事を決定するという行為には踏み込まず、「最終的に決定するための材料を与えてくれていると感じるから」だと思います。
「義務を果たすべきではないか」という問いかけも、あくまで自分が最終的に答えを決めるための「材料」です。最終的な行動や考え方を上から押し付けて指示するものではないからこそ、受け入れられるのです。世の中でコーチングが広く受け入れられるのも、最終的な決定は本人が実施するからに他なりません。だからこそ、コーチングをベースとしたアプローチを、この高齢ドライバー問題解消の土台にすべきだと思います。
そして、高齢ドライバーは「義務を果たすために具体的に何をするべきか」の指示を待っていてはだめです。誰かがその答えを持っているわけではありません。人間は千差万別、十人十色であり、それぞれ答えが違うはずです。だからこそ、他人の指示を待つという受動的な姿勢ではなく、自分が主体となって考えるという能動的な姿勢が必要不可欠なのです。
これからも、安心材料として神様にお願いすることは、私たちも同様であり、そうした安心感も時には必要です。しかし、神様に守られながら、同時に自分たちでもしっかりと考えて行動する――そんな能動的な姿勢を、神様もきっと見守ってくれるのだと信じています。

