
先日、高齢ドライバーによる痛ましい事故が相次ぐ現状を受け、今後の対策について多くの方にアンケート調査にご協力いただきました。最後の自由記述欄には、多くの方々がこの問題に対して真剣に考えていらっしゃる生の声が寄せられ、その中で特に驚いたのは「高齢ドライバーの運転はマニュアル車に限定するべきではないか※」という意見が意外に多かったことです。
実は、私の周りの友人からも同様の意見が出ていて、改めてこの提言の背景にある問題意識の深さを感じています。今回はこの「高齢ドライバー×マニュアル車」という組み合わせについて、私の経験や調査結果、そして技術的な側面等も交えながら、考察してみたいと思います。
※注釈:この意見の背景にあるのは、異常を感じたらクラッチを踏んでエンジンの駆動を切れば、加速が抑えられるだろう、という発想です。しかし、自動車学校の知り合いに確認したところ、エンジンは加速だけではなく、減速の役目(エンジンブレーキ)も果たしている。クラッチを切ることは、自動車の速度をコントロールする手段を失うことにもなり、「挙動が不安定」になる。アクセルとブレーキの踏み間違いによる暴走を防ぐためにクラッチのあるマニュアル車に乗る、という発想では事故を防ぐことはできない。マニュアル車でもオートマチック車でも、異常を感じたらしっかりとブレーキを踏むということが大切、とのご指摘がありました。適切なアドバイス、ありがとうございました。
一度立ち止まって考えてみると、本当に大切なのは「マニュアル車に乗れば事故を防げる」という単純な話ではありません。むしろ、私たちが注目すべきなのは、マニュアル車に乗る際に求められる「自らエンジン音や車の挙動を感じ取り、スピードを能動的に制御している感覚」です。オートマチック車の圧倒的な便利さに慣れきってしまうと、私たちは無意識のうちに車任せになり、運転に対する緊張感や身体感覚を希薄化させてしまっているのではないでしょうか。今回は、マニュアル車そのものへの回帰を推奨するのではなく、マニュアル車が持つ「主体的かつ緊張感ある操作感覚」の本質を、現在のオートマチック車の運転や安全教育にどう活かすべきかという視点で掘り下げていきたいと思います。
忘れかけていたマニュアル車の感覚と、根強い「運転する喜び」
私は免許取得してから38年が経ちます。ここ最近はオートマチック車に乗る機会がほとんどでしたが、それ以前はマニュアル車を好んで乗りこなしていました。先日、まだ実家にあるマニュアル車を運転する機会がありましたが、体は驚くほどその操作を覚えており、坂道発進もエンストすることなくスムーズにこなすことができました(一種の「手続き記憶」だと思われます)。久しぶりに味わう、クラッチ、ギア、アクセルを自分で「操る感覚」は、まさに「車を運転している」という実感を改めて与えてくれるものでした。
しかし、日本の自動車市場においては、オートマチック車が98%以上のシェアを占めている、という現状を知り、改めて驚かされました。燃費性能においてもオートマチック車の技術革新が進み、かつてマニュアル車のメリットの一つであった燃費の良さも、今やほとんど差がないと言われています。確かに、渋滞が多い日本において、クラッチ操作の煩わしさなどを考えると、オートマチック車が主流となるのは必然の流れなのかもしれません。
それでも、マニュアル車を運転すると、左足でクラッチを踏み、左手でギアを操作しながら、車を前や後ろに動かす、という一連の動作を自分の意志で能動的に行っているという強い実感があります。だからこそ、危険を感じた際には瞬時にクラッチペダルを踏むことでエンジンの動力が伝わらなくなり、オートマチック車に比べて暴走しにくいのではないか、という発想が生まれるのだと思います。
もちろん前述の通り、クラッチを切ることで事故が防げるわけではありません。しかし、こうした「自分で車を意のままに操り、スピードをコントロールしている」という感覚そのものが、運転に対する慢心を防ぐ上で非常に大きな意味を持っているのだと思います。
世界とのギャップ、そして技術革新の可能性
日本のオートマチック車偏重とは対照的に、海外ではまだまだマニュアル車が広く普及していると聞きます。例えばドイツでは マニュアル車の市場シェアが約44%、との情報もあります。その背景には、運転に対する文化や考え方の違いがあるのかもしれませんが、そのドイツでもマニュアル車の新車販売台数は年々減少傾向にある、とのことです。
その理由はヨーロッパにおける電気自動車の急速な普及で、電気自動車(EV)およびプラグインハイブリッド車(PHEV)にはマニュアル車の設定がなく、電気自動車の普及が進めば進むほどマニュアル車の数は減少していく傾向にあるから、とのことです。それに加えて、ドイツの大手自動車メーカーもマニュアル車の設定を徐々に減らしているため、マニュアル車に乗りたくても乗れない現状となっているそうです。
マニュアル車のシェアが低い日本で、仮に今後時計の針を巻き戻してマニュアル車を復活させるとなると、整備士の技術的な問題も懸念されますが、先日専門家の方に伺ったところ、必ずしもそうではないとのことでした。つまり、マニュアル車復活への技術的なハードルは意外と低いのかもしれません。
ちなみに、自動車学校の指導員には、オートマチック車だけ指導できる、マニュアル車もオートマチック車指導できる、という区分があるのか、と知り合いの自動車学校の先生に尋ねたところ、オートマチック車だけの指導員は存在しない、両方とも指導できる、とのこと。そういう意味でも、大きな支障はないようです。
しかし、自家用車を家族と共有する場合、一人の希望だけでマニュアル車を選ぶのは難しいという現実的な問題があります。そこで期待されるのが、クラッチ操作は不要でありながら、ドライバーが車の動きをコントロールしている実感を味わえる技術の存在です。
レーシングカーの世界では、ハンドルに設けられたレバーで素早くギアチェンジを行う仕組みがあります。発進時は低いギアでトルクを稼ぎ、速度が上がるにつれてギアを上げていく。もし誤操作で発進時にアクセルを踏みすぎても、エンジン音の高まりで異常に気づきやすく、咄嗟に操作を中止できるかもしれません。このような仕組みが、一般の乗用車にも、もっと手軽に導入されるようになれば、オートマチック車の便利さとマニュアル車の操作感を両立できる可能性を秘めているのではないでしょうか。
「便利」の落とし穴と、新たなアプローチの模索
人間は一度便利なものに慣れてしまうと、トラブル等でそれが使えなくなった時に対応できなくなるというのは、様々な場面で指摘されることです。会社のDX化もその一例でしょう。システム化によって業務効率は向上しますが、その分システムの原理原則を知らない社員が増え、一度システム障害が発生するとシステムを使わない対処方法がわからず、回復するまで業務が滞ってしまうという話も聞きます。オートマチック車の普及も、運転操作の簡便さという「甘い蜜」の裏側に、運転スキルの低下というリスクを孕んでいる可能性はないでしょうか。
この状況を打破する一つの切り札として考えられるのが「ゲーム」の活用ではないかと思います。マニュアル車を運転するようなゲームがあれば、それを通じて、操作感を楽しみながら技術を習得し、若者への車への興味やマニュアル車の運転感覚獲得につなげ、ハードルを下げることができるかもしれません。
でも、マニュアル車の運転感覚獲得を議論しているうちに、自動運転技術が本格的に導入され、「昔は人間が自分で車を運転していたんだよ」という会話が生まれる時代が来るかもしれません。そう考えると、マニュアル車の運転感覚獲得は一時的な対策となる可能性もあります。そのため、運転者の意識改革や安全運転教育といったソフト面への対策が現実的なのかもしれません。
マニュアル車用の免許は、トラックの運転に必須だから取得する人がいる、と思っていましたが、最近はトラックの世界でもオートマチック車が増加しており、マニュアル車の活躍の場は狭まっています。一方で、クラッチ操作が不要でギア操作を行う技術、例えばiMT(インテリジェントマニュアルトランスミッション)やDCT(デュアルクラッチトランスミッション)といった技術も進化しています。これらの技術は、マニュアル車のダイレクトな操作感を残しつつ、クラッチ操作の負担を軽減し、オートマチック車限定免許でも運転可能な車種も存在します。これらの技術を積極的に利活用するような世の中の動きも必要なのかもしれません。
技術、ハード、情報、マインドのバランスの取れた対策を
ここまで、高齢ドライバー問題とマニュアル車の可能性について、様々な角度から考察してきました。マニュアル車そのものは、安全対策の決定打になるわけではありませんが、そこにある「便利さに依存せず、自分の手足でスピードや挙動をしっかりとコントロールしているという感覚(主体性や緊張感)」こそが、事故を防ぐためのマインドセットとして私たちがもう一度思い出すべき原点だと考えます。
オートマチック車の便利さを手放すことは現実的ではありませんが、iMTやDCTといった新しい技術の普及、「車や機械に依存しすぎていないか」を見つめ直す高齢ドライバー向けの運転に対する意識の醸成、安全運転を啓発する情報発信、そして自動運転技術のような将来的なハードの進化。これらの要素を上手に組み合わせることで、より安全で安心な高齢者の移動手段を確保できる社会を目指すべきなのかもしれません。
引き続き、マニュアル車が持つ本質的な操作感覚を手掛かりに、事故防止のためのアプローチを考えていきたいと思います。
