パドルシフトで「操る感覚」を取り戻せるか?!高齢ドライバーの安全運転可能性に挑む!

昨今でもニュースとしての扱いは小さいですが、連日のように高齢ドライバーによるアクセルとブレーキの踏み間違い等の事故が発生し、社会問題となっています。それらを受けて、専門家の方からは対策等が論じられていますが、私たちに多くの方々から寄せられる意見を元に、一つの仮説を立てました。それは「高齢ドライバーはMT(マニュアル)車に乗らせることが、この問題の解決になるのではないか」。この内容を言い換えれば、「運転の制御を、ドライバー自らが身体感覚として行っている実感を強く持つことこそが、誤操作を防ぐ最大の鍵になるのではないか」というものです。
今回は、その仮説を検証するために私自身がパドルシフト車を購入しましたので、この仮説を検証すべく、実際に路上で試行錯誤した体験をまとめてみたいと思います。
なぜ今、あえて「操作の複雑さ」を求めるのか
かつて、車の運転とは左右の手足をフルに使う「全身運動」でした。その象徴がMT車だったと感じています。しかし、現在の日本市場において、MT車はもはや「絶滅危惧種」です。シェアは1%程度にまで縮小し、一部のマニア等向けの商品となってしまいました。そのため、安全のためにMT車に乗りたいと思っても、市場には選択肢がほとんどありません。また、家族と共有する自家用車となれば、家族も運転することを無視するわけにもいきません。
そこで浮上したのが「パドルシフト」を搭載したAT(オートマチック)車です。これならば、MT車のように自らマシンの挙動をコントロールしつつ、家族にはイージードライブを提供できる。まさに「一挙両得」の解決策に見えます。そこで、私はこの「パドルシフトを搭載した車こそが高齢ドライバーの事故を防ぐ現実的な処方箋になる」という仮説を胸に、検証を開始しました。
私がパドルシフトに、より一層注目したのは、人間の身体機能の経年変化の順番です。一般的に、上半身よりも下半身は機能的な劣化が早いと言われています。足先の繊細な感覚が鈍り、自分が思ったように足を動かせなくなることで、とっさの時の誤動作(踏み間違い)が起きる。一方で、上半身、特に手先の器用さを維持していることが多く、手を使って積極的にギアを制御するパドルシフトを搭載した車の運転は、脳への良い刺激になるはずだと考えました。
高速道路と一般道で見えた「AT脳」の壁
検証の舞台として、私はあえて遠出のドライブを選びました。住み慣れた地元では、もし操作を誤ってトラブル等があると誰かに見られるかもしれない、という見栄もあったと思います。しかし、何よりも長いドライブなら、自分の操作ミス等を連続的に発見し、すぐに見直し・修正ができる、つまりPDCAサイクルを何度も繰り返すことができる、と考えたからです。
私の検証は、まずは高速道路からスタートしました。ここ数年を純粋なAT車に浸かりきっていた私にとって、「自分でシフトを変える」という行為は、これまでは急な下り坂でエンジンブレーキを使う時くらいに限定されていました。
高速道路を走り始めてすぐに気づいたのは、自分の「シフト操作の習慣」がいかに退化しているかということでした。実家の車(MT車)をたまに借りる際は問題なくシフトレバーを動かせるのに、このパドルシフト搭載の車を前にすると、どうも勝手が違いました。
例えば、上り坂に差し掛かった場面です。MT車なら自然にシフトダウンして加速体制に入るところですが、私の体は無意識に「AT車の作法」を選んでしまいます。つまり、パドルには触れず、ただアクセルを深く踏み込むだけで解決しようとするのです。「あれ、思ったようにスピードが乗らないな……」と数秒遅れて違和感を覚え、そこからようやく「そうだ、シフトダウンだ」とパドルを操作する。このタイムラグは、脳と車がダイレクトにつながっていない証拠だと感じました。
また、サービスエリア(SA)への進入時も課題が露呈しました。本来ならパドルを操作して段階的に減速し、エンジンブレーキの唸りを感じながらピットインすべきところを、フットブレーキのみで減速。駐車スペースへ曲がろうとした瞬間に動きのギクシャクを感じ、慌ててパドルでシフトダウンしたところ、今度は急減速が発生。後続車には「なんだ、この動きは?」と不審に思われたかもしれません。
さらに難易度が上がったのは一般道でした。高速道路と違い、一般道では交差点等において大きくハンドルを回す行為が繰り返されます。ここで改めて、パドルの操作を困難にさせる要因に直面しました。MT車であればシフトレバーの位置は常に左手の位置に固定されていますが、パドルはハンドルと一緒に回転します。ハンドルを回しながら「ええと、シフトアップのレバーはどこだ?」と指先がパドルを探して空を切り、慌ててしまうシーンが何度もありました。
パドルシフトはMT車の代わりになるのか?
今回の検証を通じて、私の当初の仮説「MT車が購入しずらい状況にある中、パドルシフト搭載の車が高齢ドライバーの事故削減に一役買えるのではないか」が、認識として甘かったことを痛感させられました。
最大の誤算は、脳のスイッチでした。MT車では「左手がシフトレバーにある」こと自体が、ギア操作への集中と操作のモード切り替えを促します。しかしパドルは、手が常にハンドルにあるため、脳が「便利で安楽なATモード」から抜け出しにくいと感じられました。また、パドルを操作する行為が、まだ自分の中で「特別に意識しないと実施できない、無意識には実施しない動作」になってしまっており、自然な動作になりきっていないのだと思いました。
また、レバーの配置についても考えさせられました。MT車のレバーは場所が固定されていますが、パドルの位置はハンドルの回転とともに変わります。交差点でハンドルを回しながら操作する場合、MT車なら「片手でハンドル、片手でシフト」という役割分担が明確ですが、パドルシフトは両手の指先がハンドルを回しながらだと常に迷子になるリスクを孕んでいます。これは、MT車の延長線上のスキルではなく、パドルシフト特有の「新しい訓練」が必要であると感じました。
結論として、パドルシフト搭載の車はMT車の完全な代用品にはならないのではないか、と感じざるを得ませんでした。しかし、決して「無意味」ではない、と感じています。この操作の違和感こそが、漫然とした運転を防ぐ「脳のトレーニング」として機能する可能性は残っていると思うからです。ただ、それを安全に使いこなすためには、これまでとは全く異なる習熟プロセス、訓練等が必要なのだと身を以て知ることができました。
失われた「1次元」を取り戻すために
AT車が世の中のスタンダードになってから、随分と長い時間が経過しました。私が免許を取得した約40年前、MT車が当たり前だった時代を思い出します。教習所でわずか2時間ほど設けられていたAT教習で、その便利さに驚くと同時に、「もしパニックになって左足を強く踏み出してしまい、誤ってブレーキを踏んでしまうのではないか」と、恐怖に近いヒヤヒヤ感を持ったものです。
しかし、今の私はAT車の便利さに慣れきってしまいました。そして、一度失われた「操作の感覚」を取り戻すのが、これほどまでに困難であることに驚きました。そこで、私は運転という行為を、「次元」で捉え直してみました。
- AT車の運転は「2次元」: 車を左右に制御すること + 前後のスピードを調整すること
- MT車の運転は「3次元」: 上記の要素 + 「エンジンとの対話(適切なギアを選択する判断)」
現在のAT車は、この「エンジンとの対話」という1次元分が自動化されています。AT車に乗ることにより消えてしまった、この1次元こそが、実は「今、自分は機械を操っているのだ」という緊張感を支えていたのではないでしょうか。
失われたこの1次元を取り戻すのは、至難の業かもしれません。AT車が普及した現状や、同じ自動車を運転する家族のことを考えると、クラッチはなくてもいい、しかしギアレバーはやはりセンターコンソールにあり、左手で操作する方が脳は目覚めるのではないか……。あるいは、徹底的にパドルシフトを使い込んで、この「新世代の3次元運転」をマスターすべきなのか。
今の私に明確な答えは出せていません。しかし、少なくともパドルを指先で弾くたびに、私の脳が「おっと、今どのギアだ?」と必死に考え始めていることだけは確かです。この「脳の汗」こそが、踏み間違いを防ぐ防波堤になると信じて、これからもパドルシフトとの対話を続けていきたいと思います。
皆さんにも、便利さと引き換えに、置き去りにしてい大切な運転の「感覚」がありませんか?そんな感覚を取り戻すことが、高齢ドライバーによる事故を防ぐヒントになるのかもしれません。
