
現代に問いかける「運転」と「姨捨山」の教訓
「高齢者が我慢ばかりの生活を送ると、前頭葉への刺激が減少し、心身機能の低下を加速させる」。これは、和田秀樹氏の著書「どうせあの世にゃ持ってけないんだから 後悔せずに死にたいならお金を使い切れ!」の中で紹介されている一節で、私たちに改めて考えさせられる問題提起です。
この書籍に触れたとき、私の脳裏に浮かんだのは、かつて『まんが日本昔ばなし』で見た「姨捨山」の物語でした。年老いた親は「役に立たない」として山に捨てるという悲しい村の掟。しかし、物語はそこで終わりません。息子に連れられて山へ向かう母親。彼女は、息子の帰り道がわかるようにと、静かに木の枝を折っていきます。
この母親の行動こそ、単なる受動的な犠牲者ではない、知恵を持つ存在としての輝きを表しているのではないでしょうか。長年連れ添った母親を山に置き去りにする息子の葛藤。これもまた、現代社会における高齢ドライバーの運転免許返納問題。これと重なるように感じられます。
もっとも、こうした昔話を現代の社会問題に引き合いに出すとき。その内容のショッキングさや「高齢者を捨てる・捨てない」という二者択一に目が行き、近視眼的な議論に終始しがちです。しかし、私たちがこの物語から本当に学ぶべきもの。それは、物事の一面だけを見るのではなく、総合的に捉える視点です。
例えば、桃太郎の物語を現代の基準だけに当てはめて、鬼といえどもいじめていいのか、と批判し始めれば、日本の豊かな文化や文脈が崩壊しかねません。昔話にはそれぞれの時代背景や、深い教訓という「必要悪」や多面的な真実が隠されています。
「姨捨山」の物語も同様です。物語の最後には、山に捨てられたはずの母親の知恵が、結果的に困難に直面した国を救うという展開が待っています。ここには、「高齢者こそ、社会のために必要」という素晴らしい教訓が用意されています。
免許返納という「二者択一」を打破する視点
長年、家族のために尽くし、子どもたちを育ててきてくれた親から、ただ高齢であることを理由に運転免許を取り上げることが、本当に最善の策なのでしょうか。運転という自由を奪うことは、活動範囲を狭め、社会とのつながりを希薄にし、結果として親の心身の老化を早めてしまう可能性が否定できません。
もしそうならば、それは表面的な効率性ばかりを優先する現代社会の姥捨山。それと、本質的に変わらない行為と言えるかもしれません。
しかし、私たちは「免許を返納するか、しないか」という対立構造や二者択一の議論に囚われてはなりません。物語の中で母親の知恵が国を救いました。このように、免許を返納する、しない、という選択肢しかない、という発想から、高齢ドライバーが持つ豊富な経験や知恵、これを上手く引き出す。そして、それらを安全運転につなげる具体的な行動につなげて、彼らの活躍の場を広げて社会全体の課題解決にも繋げる。そのような「第三の選択肢」を見出すことができるのではないでしょうか。
高齢ドライバーの知恵を「安全」に変える運転継続計画(DCP)
では、高齢ドライバーのどのような知恵が、免許返納という硬直した現状の流れを変える力となるのでしょうか。物語の母親が帰り道のために枝を折った。そのように、高齢の運転者が自らの能力の高さと真摯に向き合う。そして、安全運転のために具体的に何ができるかを考え、それを示すことが重要です。
それは、単に「注意して運転します」といった抽象的な言葉を期待しているのではありません。運転の目的や目標を持ち、その達成に向けた具体的な行動計画 を立てる。そして、それらを継続的に実行することに他ならず、非常に効果的な方法だと思います。
例えば、「〇〇歳まで運転したい」という目標に対し、「そのためには、夜間の運転は避ける」「定期的に講習を受ける」「家族に運転状況をチェックしてもらう」といった具体的な計画を立てるのです。自身の希望実現のためならば、計画へのモチベーションは高まり、実行力も伴うはずです。
ゲーム理論と全体最適 「”好例”ドライバー」という新たな視点
作成した運転計画は、作成したら終わりではありません。本人だけではなく家族とも共有し、計画内容をしっかり実行すること、そしてその進捗を記録し家族と共有することが何より重要です。その際、家族からの励ましや肯定的な言葉があると、より一層心強い支えとなるでしょう。
経済学やゲーム理論の観点においても、全体最適を考え、個人の能力や活躍の場(目的意識)を与えることで、人間はその期待に驚くほど応えることが示されています。現在の日本が直面する生産年齢人口の減少を補い、社会を支えていく。その上でも、高齢者世代の知恵や経験を排除するのではなく、活かしてもらう。そのような発想が不可欠です。
長く生きている親の知恵と工夫によって、運転に心配を感じている家族の不安を安心に変える。運転を続ける道を探ること。これができれば、それこそが物語の本質を現代によみがえらせるアプローチです。
「姨捨山」の物語で息子が母親を本当は捨てたくなかったように、家族もまた、親の生活の質を不必要に下げ、親の老化を早めることを望んでいるわけではないはずです。年齢という一律の基準で線を引くのではない。個々の知恵と工夫によって安全な運転を続ける。「高齢ドライバー」ならぬ、ロールモデルとなる「”好例”ドライバー」という新たな視点を持つこと。これが、これからの高齢ドライバー問題を真に解決へと導く鍵となるはずです。
