高齢ドライバーへの対応「北風」になってませんか?「太陽」ならどうするか、考えてみました!

北風と太陽のイメージ図

皆さんは、「北風と太陽」の物語をご存知でしょうか。簡単に振り返ってみましょう。

ある日、北風と太陽が、どちらが旅人の上着を脱がせられるかを競うことになりました。北風は「旅人の上着を吹き飛ばしてやる」と、激しい風をゴーゴーと吹き付けました。しかし、旅人はその風に耐えようと、かえって上着をぎゅっと押さえつけ、さらにきつく身にまとってしまいました。北風が強く吹けば吹くほど、旅人は上着を離そうとしなかったのです。
一方の太陽は、ただ温かい光を降り注ぎました。すると、旅人は太陽の温かさを感じ、やがて自分で「暑いな」と感じ始め、ついに自らの意志で上着を脱ぎました。

このシンプルでありながら奥深い教訓を持つ物語が、高齢ドライバーによる事故防止に役立つのではないかと考えています。

皆さんの周りにも、現役を引退した後も元気にバリバリと運転されている方がいらっしゃると思います。そして、高齢ドライバーによる事故が報道されるたびに、どうにかしなければ、と心を痛めることも少なくないでしょう。しかし、もし皆さんが半強制的に免許を返納させるようなアプローチをしていたとしたら、なかなかうまくいかないのが現実ではないでしょうか。もしかしたら、この問題の解決の糸口が「北風と太陽」の物語の中に隠されているのかもしれません。では、私たちは、どのようにして、大切な人の「太陽」になることができるのでしょうか。

旅人を高齢ドライバーに置き換えると

私たちは、これまでの大半のアプローチが、まさに「北風」になっているのではないか、と考えています。

「もう高齢だから運転は危険です」「事故を起こす前に免許を返納すべきです」といった、年齢を理由にした一律の免許返納の呼びかけや、強制的な返納を求める議論。これらは、外からの強い力で上着(=運転免許)を脱がせようと試みるアプローチに相当すると考えます。しかし、運転が単なる移動手段だけではなく、生活の足であり、社会とのつながりや生きがいと深く結びついている高齢ドライバーにとって、こうした強制的な圧力は反発を生むばかりで、なかなか結果にはつながりません。自分の運転能力にまだ自信があるのに、ただ年齢を理由に免許を返納しろと言われても、納得がいかないのは当然のことです。

物語で勝利を収めたのは「太陽」です。その教訓は、外からの強制ではなく、相手の内面に働きかけ、自発的な行動を促すことの重要性を示しています。つまり、相手が自ら納得し、変化を受け入れることができたからこそ、太陽は北風に勝つことができたのです。高齢ドライバーの問題でも、同じことが言えるのではないでしょうか。

理想でも現実に変えるための考え方

この高齢ドライバーに対する「太陽」的なアプローチは、一見すると理想的に聞こえるかもしれません。確かに、現実の高齢ドライバー問題は、物語のように都合よく、単純ではないと思います。それでも、考えてみる価値はあるのではないでしょうか。

そもそも皆さんが高齢ドライバーに対して最も心配するのは事故を起こすこと。事故につながる可能性があるから、免許返納したら、という声を上げているわけです。裏を返せば、高齢ドライバーが安全に運転ができるのなら、リスクを最小化できるのではないでしょうか。ここから、私たちが「太陽」として考えるべきなのは、高齢ドライバーが安全に運転を続けられる具体的な方法ではないか、と考えています。

その方法とは、現役世代のときは必要がなかったことかもしれませんが、高齢ドライバー自身の運転能力や加齢による変化を客観的に把握し、それに合わせて安全な運転を継続するための具体的な方策を立て、それらを実行することだと考えています。例えば、認知力、判断力の衰えを感じたなら、それを防止するために普段から頭を使う行為を日常的に実施する、とか、思ったように足腰が動かなくなったのなら、これらの機能を維持するために、運動することを習慣化する、などが考えられると思います。

これらの取り組みは高齢ドライバーも「安全のための対策をしっかり実施すれば、運転が続けられる」というもモチベーションアップにつながると思いますし、その家族などの立場から見ても、高齢ドライバーが安全に運転するために頑張る姿をみて、安心感を得られるのではないか、と考えます。

そして、方策を立て、それらを実行できて、達成感を感じることができたら、その満足感もあって運転へのこだわりが薄れ、最終的に「上着を脱ぐ」ことを自ら決断する気持ちになることも考えられると思います(例えば、力士が横綱になる、という目標を達成すると、なぜかその後勝てなくなってしまう現象と似たものがあると考えています)。

しかし、万が一、高齢ドライバーがこれらの方策を立てられない、また、方策を立てても実行ができない、と感じたとすれば、安全に運転するための努力ができないことを高齢ドライバーが自ら自覚し、結果的に本人自らの意志で「上着を脱ぐ」という方向に進むことも考えられます。

このどちらにも共通しているのが、高齢ドライバーの「内面」に働きかけること、そして高齢ドライバー自らが「納得感」を持って、自らが「上着を脱ぐ」(=免許返納)ことになるのではないか、ということです。

「近道を急ぐ」よりも「急がば回れ」の発想で

北風と太陽の物語が教えてくれるように、結論を急ぎ、外的かつ強制的な近道を選ぶよりも、本人が自らの意志で納得できるように導くアプローチが、遠回りのようで最も確実な道だと考えます。そして、最終的に重要なのは、外部がどんなにやかましく言っても、最終的な判断を下すのは当人である、ということです。

高齢ドライバーがやりたいことを応援する。それにリスクが伴うなら、それを取り除くための協力を最大限する。そして、本人が達成感を感じるような状況やゴールを設け、それを達成したら、自然と運転へのこだわりが薄れていく――こんなアプローチも、一つの選択肢として考えてもいいのではないでしょうか。

高齢ドライバーの問題を考える上で、様々な考え方がありますが、今回が皆さんに新たな視点を提供できれば幸いです。そして、何よりも、大切な人が納得して、心から安心して元気に暮らせる社会のために、私たちが何ができるのかを、一緒に考えていきたいと思います。

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