高齢ドライバーの事故対策にマニュアル車が有効か?~技術、情報、ハード、マインドの視点から考える~

元気な壮年ドライバーの図

先日、高齢ドライバーによる痛ましい事故が相次ぐ現状を受け、今後の対策について多くの方にアンケート調査にご協力いただきました。最後の自由記述欄には、多くの方々がこの問題に対して真剣に考えていらっしゃる生の声が寄せられ、その中で特に驚いたのは「高齢者はマニュアル車に限定するべきではないか」という意見が意外に多かったことです。

実は、私の周りの友人からも同様の意見が出ていて、改めてこの提言の背景にある問題意識の深さを感じています。今回はこの「高齢ドライバー×マニュアル車」という組み合わせについて、私の経験や調査結果、そして技術的な側面等も交えながら、考察してみたいと思います。

忘れかけていたマニュアル車の感覚と、根強い「運転する喜び」

私は免許取得してから37年が経ちます。ここ最近は15年前に購入したオートマチック車に乗る機会がほとんどでしたが、それ以前の22年間はマニュアル車を好んで乗りこなしていました。先日、実家のマニュアル車を運転する機会がありましたが、体は驚くほどその操作を覚えており、坂道発進もエンストすることなくスムーズにこなすことができました。久しぶりに味わう、クラッチ、ギア、アクセルを自分で操る感覚は、まさに「車を運転している」という実感を改めて与えてくれるものでした。

しかし、日本の自動車市場においては、オートマチック車が98%以上のシェアを占めている、という現状を知り、改めて驚かされました。燃費性能においてもオートマチック車の技術革新が進み、かつてマニュアル車のメリットの一つであった燃費の良さも、今やほとんど差がないと言われています。確かに、渋滞が多い日本において、クラッチ操作の煩わしさなどを考えると、オートマチック車が主流となるのは必然の流れなのかもしれません。

それでも、マニュアル車を運転すると、左足でクラッチを踏み、左手でギアを操作し、車を前や後ろに動かす、という一連の動作を自分の意志で能動的に行っているという強い実感があります。また、危険を感じた際には瞬時にクラッチペダルを踏むことでエンジンの動力が伝わらなくなり、オートマチック車に比べて暴走しにくいという特性も、安全性の面から見逃せないポイントです。

世界とのギャップ、そして技術革新の可能性

日本のオートマチック車偏重とは対照的に、海外ではまだまだマニュアル車が広く普及していると聞きます。例えばドイツでは マニュアル車の市場シェアが約44%、との情報もあります。その背景には、運転に対する文化や考え方の違いがあるのかもしれませんが、そのドイツでもマニュアル車の新車販売台数は年々減少傾向にある、とのことです。背景にあるのはヨーロッパにおける電気自動車の急速な普及で、電気自動車(EV)およびプラグインハイブリッド車(PHEV)にはマニュアル車の設定がなく、電気自動車の普及が進めば進むほどマニュアル車の数は減少していく傾向にある。それに加えて、ドイツの大手自動車メーカーもマニュアル車の設定を徐々に減らしているため、マニュアル車に乗りたくても乗れない現状となっているそうです。

マニュアル車のシェアが低い日本で、アクセル操作ミスを防止する安全性の観点から今後時計の針を巻き戻してマニュアル車を復活させるとなると、整備士の技術的な問題も懸念されますが、先日専門家の方に伺ったところ、必ずしもそうではないとのことでした。つまり、マニュアル車復活への技術的なハードルは意外と低いのかもしれません。

しかし、自家用車を家族と共有する場合、一人の希望だけでマニュアル車を選ぶのは難しいという現実的な問題があります。そこで期待されるのが、クラッチ操作は不要でありながら、ドライバーが車の動きをコントロールしている実感を味わえる技術の存在です。

レーシングカーの世界では、ハンドルに設けられたレバーで素早くギアチェンジを行う仕組みがあります。発進時は低いギアでトルクを稼ぎ、速度が上がるにつれてギアを上げていく。もし誤操作で発進時にアクセルを踏みすぎても、エンジン音の高まりで異常に気づきやすく、咄嗟に操作を中止できるかもしれません。このような仕組みが、一般の乗用車にも、もっと手軽に導入されるようになれば、オートマチック車の便利さとマニュアル車の操作感を両立できる可能性を秘めているのではないでしょうか。

高齢ドライバーの事故件数が増加の一途を辿れば、将来的には国として法制度が見直され、一定の年齢以上のドライバーにはマニュアル車限定免許となる可能性も否定できません。しかし、それは多くの犠牲が出た後になるかもしれません。また、仮にそのような法律が施行されたとしても、若い世代を中心に運転免許を取得しない傾向とマニュアル車の運転経験がない人が増えているため、新たな別の問題を生む可能性もあります。

以前にも提唱しましたが、最高速度が制限された小型のモビリティ、例えばゴルフカートのようなものを公道で安全に走行できるようにし、車と共存できるような社会的な理解と文化を醸成することも、一つの解決策かもしれません。また、オートマチック車しか運転できない人がマニュアル車の運転技術を改めて習得するには時間と労力がかかるかもしれませんが、交通ルールに関する知識は持ち合わせているため、集中的なトレーニングによって比較的短期間での習得も不可能ではないかもしれません。

「便利」の落とし穴と、新たなアプローチの模索

人間は一度便利なものに慣れてしまうと、それが使えなくなった時に対応できなくなるというのは、様々な場面で指摘されることです。会社のDX化もその一例でしょう。システム化によって業務効率は向上しますが、システムの原理原則を知らない社員が増え、一度システム障害が発生するとシステムを使わない対処方法がわからず、回復するまで業務が滞ってしまうという話も聞きます。オートマチック車の普及も、運転操作の簡便さという「甘い蜜」の裏側に、運転スキルの低下というリスクを孕んでいる可能性はないでしょうか。

この状況を打破する一つの切り札として考えられるのが「ゲーム」の活用ではないかと思います。マニュアル車を運転するようなゲームがあれば、それを通じて、操作感を楽しみながら技術を習得し、若者への車への興味やマニュアル車の運転技術習得につなげ、移行のハードルを下げることができるかもしれません。

しかし、マニュアル車の普及を議論しているうちに、自動運転技術が本格的に導入され、「昔は人間が自分で車を運転していたんだよ」という会話が生まれる時代が来るかもしれません。そう考えると、マニュアル車の復権は一時的な対策となる可能性もあり、そのために高額な設備投資などが必要となるハード面への対策よりも、運転者の意識改革や安全運転教育といったソフト面への投資の方が安く済み、現実的なのかもしれません。

マニュアル車用の免許は、トラック等の運転に必須になるから取得する人がいる、と思っていましたが、最近はトラックの世界でもオートマチック車が増加しており、マニュアル車の活躍の場は狭まっています。一方で、クラッチ操作が不要でギア操作を行う技術、例えばiMT(インテリジェントマニュアルトランスミッション)やDCT(デュアルクラッチトランスミッション)といった技術も進化しています。これらの技術は、マニュアル車のダイレクトな操作感を残しつつ、クラッチ操作の負担を軽減し、AT限定免許でも運転可能な車種も存在します。これらの技術を積極的に利活用するような世の中の仕組みも必要なのかもしれません。

技術、情報、ハード、マインドのバランスの取れた対策を

ここまで、高齢ドライバー問題とマニュアル車の可能性について、様々な角度から考察してきました。マニュアル車は、ある意味で運転技術の維持や、とっさの際の安全確保に繋がる「ハード」と「技術」の側面からの対策と言えるかもしれません。しかし、運転者の意識や判断力といった「マインド」に直接的な効果を期待することは難しいでしょう。また、渋滞情報や乗りたい車はオートマ車しか用意されていない、といった「情報」も、マニュアル車の導入を阻む要因となり得ます。

結局のところ、高齢ドライバーの事故対策には、特定の解決策に偏るのではなく、「技術」「情報」「ハード」「マインド」の4つの要素をバランス良く考慮し、多角的なアプローチを取ることが最も重要なのではないでしょうか。

iMTやDCTといった新しい技術の普及、高齢ドライバー向けの運転に対する意識の醸成、安全運転を啓発する情報発信、そして自動運転技術のような将来的なハードの進化。これらの要素を上手に組み合わせることで、より安全で安心な高齢者の移動手段を確保できる社会を目指すべきなのかもしれません。

引き続き、マニュアル車の可能性については考えていきたいと思います。

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