アクセルとブレーキの踏み間違いはなぜ?考えられるドライバーの心理を”自らの体験”から考察!

3月25日の日中、東京の日本橋で高齢ドライバーによる事故が発生しました。報道やSNSの動画によると、運転していたのは60代の女性で、車は反対車線を猛スピードで走り抜け、そのまま歩道に乗り上げて街路樹をなぎ倒し、やっと車は止まりました。アクセルとブレーキの踏み間違いが発生していたと思いますが、詳細な原因等はまだ分かっていません。
この事故が発生したことを知り、私は過去の自分の体験を思い出しました。私がまだ自動車学校に通う前のことです。友人宅の敷地内で少し車の運転させてもらった際、アクセルとブレーキを踏み間違え、植え込みに突っ込んでしまったことがあります。40年近く前の話で、私の記憶もあいまいなところがありますが、当時のことを頑張って思い出すと、私はまるで「神の見えざる手」により、一時的に車を操られているような感覚に陥ったと考えています。自分の意に反し「車が勝手にスピードを上げている」「ブレーキを踏んでいるのに止まらない」。そんな捉え方をしてしまい、パニックになってしまったのだと思います。
池袋事故でも車へ不信感が
アクセルとブレーキの踏み間違いは、先日の日本橋の事故に限らず、全国で多数発生しています。6年前に池袋で発生した、母子が亡くなられた事故では、一時加害者の男性から「車の故障ではないか」という発言もありました。私たちは、車の性能を信頼しているからこそ、日ごろ利用しているわけですが、時々リコールが発生した、という報道があることを知っているために、車も完全なものではない、という意識が潜在的にあるのかもしれません。
そして、自分は常に正しい、ミスがあるとしたら、それは自分以外が原因だ、と考える人間心理にも原因があるのではないか、と感じます。
私もそんな経験があります。学生時代の授業の一つにプログラミングがありました。その中でプログラムを自分で組み、動作させてみる、ということ学びますが、最初はだいたいうまく動いてくれません。プログラムのどこかに間違いがある、と考えて何度もチェックしますが、間違いらしいものは見当たりません。そのときに私が言ったのは「先生!このコンピュータ、壊れています」。しかし、先生が私のプログラムを詳細に確認して言います。「ここのスペルが間違っている」。私は顔が真っ赤になりました。案の定、それを直すとしっかり動作しました。問題の原因は自分にある。でも、原因を自分以外と決めつけていました・・・。
運転も同じではないでしょうか。何事も自分は正しい、正しくないのは自分以外だ。異常な状態は「神様が私にいたずらをしているんだ」。そして「神様のいたずらでなければ、それは自動車が故障して異常が発生していたんだ」と考える心理が働くのではないでしょうか。そして「私はブレーキを踏んだのに」。でも、実際に踏んだのはブレーキではなく、アクセルだった・・・。
確かに車は完璧なものではないかもしれません。時には故障もします。しかし、車の動きは運転者の意思(人間性)や行動が反映されたものです。もし意に反する動きをする時は、まず自分に原因があると考えなければなりません。決して「神の見えざる手」によって私の車が支配された訳でも、車に異常が発生したわけでもありません。加速している原因はきっとあなた自身にあるのです。
原因は自分「影響の輪」で考える事故防止
先日もブログの中で紹介した「7つの習慣」と書籍があります。その中に「影響の輪」という考え方があることを紹介しました。これは、自分がコントロールできる範囲(影響の輪)と、できない範囲(関心の輪)を区別するというものです。事故の原因を「神の見えざる手」や「車の故障のせい」にするのではなく、自分の行動に目を向けることで、解決の糸口が見つかるかもしれません。
これを平常心が保たれている普段の状態で発揮する、というのは、それなりの習慣でカバーできると思います。しかし、車の運転という瞬間瞬間で「認知→判断→行動」を繰り返さなければならない場面において、発揮するのはなかなか難しいと思います。運転時において「異常の原因は自分なのでそれに気付く」という訓練は、頭で考えるのではなく、体で覚え、体が即座に反応して行動する、というような訓練が必要だと思います。その具体的内容を、生成AIなどにも協力してもらいながら、壁打ちをしてみましたが、今日のところ有効な策は見出せませんでした。しかし、この訓練方法が見つかると、同様の事故が減らせるのではないか、と考えます。これは私の今後の宿題として、引き続き考えてみたいと思います。
同様の事故を起こさないために、私たちにできること
一向に減らないアクセルとブレーキの踏み間違い事故。この事故を起こさないためには、運転者全員が「異常な運転の原因は自分にある」という意識を持つことが重要ではないでしょうか。そのための冷静な判断と適切な行動をとる訓練が必要だと考えています。
もし乗っている車がマニュアル車であれば、危険を感じた時にクラッチも踏み込むことで、アクセルの誤操作を一時的に回避できると思います。危険を感じてクラッチも踏むことで右足が間違ってアクセルを踏んでいることを異常に大きなエンジンで気付くことができます。また駆動を切るので、スピードもこれ以上上がらずに済みます。しかし、最近のオートマ車は、エンジン音が静かなまま、スピードが出るので、便利で快適な分、「何かにとりつかれている」と考えてしまう側面があると思います。
運転シミュレーター等で異常な運転をしている状態を作って、そこから回避する練習(パイロットの皆さんはそのような訓練を実施している、と聞いたことがあります)を繰り返し実施する、ということも一つの訓練になるのかもしれません。このような体験を積み重ねることで、冷静な判断と行動ができるのか、考えてみようと思います。
今回のブログは、約40年前に自宅の植え込みと車に迷惑をかけた友人への謝罪・懺悔の気持ちも込めて書きました。一般道でのことではありませんが、二度とこのような「事故」を起こさないために、私たち一人ひとりが運転と真摯に向き合う必要があると感じています。具体的な解決策については、引き続き「宿題」として、検討していきたいと思います。