だから私たちは「運転のエンディングノート※」を強くお薦めするのです。

※運転のエンディングノート:自分以外からの外圧に屈せず、人生を自らが切り拓きながら最高の「運転ライフ」をプロデュースするための「作戦の書」

なぜ、あれほど自信があるのに「防戦一方」なのか

私には、どうしても気になることがあります。

毎日のようにニュース等で高齢ドライバーによる事故が報じられ、あちこちの家庭内で繰り広げられている「免許返納」に関する議論。その様子をうかがっていると、ある「奇妙な構図」が浮かび上がってきます。それは、「家族側が主導的に高齢ドライバーに対して免許返納を迫り、当の高齢ドライバーは防戦一方で、家族からの提案に対してひたすら言い訳や拒絶を繰り返している」というものです。

さまざまな調査でも明らかな通り、ドライバーは年齢を重ねるほど、自身の運転技術に対して高い「自信」を持つ傾向がある、と報告されています。それ自体は、長年無事故でハンドルを握り続けてきたという誇りの裏返しでもあり、決して根拠がないわけではありません。

しかし、ここで素朴な疑問が湧きます。 「それほどの運転に自信がある人が、なぜ免許の話になるとこれほど受動的(受け身)で、後手に回るばかり」なのでしょうか。

運転に相当の自信があるなら、家族からあれこれ言われる前に、高齢ドライバーの皆さんの方から主導的、積極的に必要な情報を発信すればいいのではないでしょうか。ビジネスの世界でも、あるいは日々の暮らしの知恵でも、「先手必勝」という言葉がある通り、物事は先んじて動いた者が圧倒的に有利になるのは過去の史実から証明されているセオリーのはずです。

家族の中でより長い人生を歩み、数々の荒波を乗り越えてこられた高齢ドライバーの皆さんなら、このセオリーは身に染みて分かっているはずではないでしょうか。にもかかわらず、家族から免許返納の話題が切り出されるまで、何の手も打たずにただ黙っているだけ。これでは「家族から指摘されるのを、手ぐすね引いて待っているのではないか」とすら思えてしまいます。

当事者意識の欠如という「厳しい現実」

もちろん、実際に待っているわけではないと思います。でも、本当のところは、おそらく「何も考えていない」というのが現実ではないでしょうか。車を運転できることが当たり前の日常であり、普通であり、当然の権利である。そんなあまりにも馴染み深い状況のなかにいると、「何か特別な行動を起こさなければならない」という危機意識は、なかなか芽生えないものかもしれません。

しかし、あえて人生の先輩である高齢ドライバーの皆さんに厳しい言い方をさせていただきます。みなさんの今の状況は、ある意味での「当事者意識の欠如」と言わざるを得ません。もし、ご自身の人生において「望まないこと」を突き付けられる可能性、あるいは「望まない事態」が起きるリスクがあるとしたら、皆さんはこれまでどうされてきたでしょうか。

  • 台風が来ると分かっていれば、家のモノが飛ばないようにしっかりと固定する。
  • いつ来るか分からない地震に備えて、重い家具を突っ張り棒で固定する。

これまでの人生で、高齢ドライバーの皆さんは常に「当事者意識」を持ち、望まない未来(災害やトラブル)が予測されるなら、必ず事前に先回りの対策を打ってきたはずです。そうでなければ、激動の時代を生き抜き、家族を守り、今の地位を築くことなどできなかったはずですから。

運転についても、全く同じことが言えます。人間の摂理として、私たちは誰しも平等に歳を取ります。体のあちこちが少しずつくたびれ、若い頃のようには体のあちこちが機能しなくなり、疲労の回復力も以前より確実に落ちてきます。そうなれば、どれほど運転が好きな人であっても、「いつかは免許返納を考えなくてはならない時期」が100%訪れるのです。

それは、一世を風靡したプロ野球のスター選手だって、何千人、何万人もの社員を引っ張ってきた会社の経営者だって同じことです。どれほど有能な人間であっても、人生には必ず「引退(引き際)」の二文字が存在します。先々を読み、あらかじめスマートな準備をしておく行為は、日本においては古くから「たしなみ(嗜み)」として非常に好印象を持たれる美徳でもあります。しかしその一方で、「そんな縁起でもないことは考えたくない」「自分の衰えを認めるようで嫌だ」という感情が同時に発生してしまうのも、また紛れもない人間の真実です。

自分の意志を貫く生き方を選ぶために

ですが、私たちに永遠の命がない以上、どこかでいい意味での「開き直り」が必要です。時の流れに身を任せ、周囲から「もう高齢だから」「危ないから」と外からの圧力によって運転の自由を奪われるような終わり方。それは、これまで人生を自らの手で切り開いてきた人間にとって、あまりにも不本意な結末ではないでしょうか。

未来にどのような身体の変化や社会のルールが待っていようとも、それをただ受け身で待つのではなく「自分の意志をしっかりと示し、それに基づいて行動する」そんな生き方の方が魅力的ではないか、と考えます。すべての人がそんな考え方を持っているわけではないと思いますが、こんな考え方に賛同し「こっちの人生の方が、圧倒的に格好良くて楽しい」と思える人が、一定数はいらっしゃるのではないかと考えています。

そんな強い「当事者意識」を持ち、人生の最後まで主導権を握って積極的に生きたい。そのために今、最も必要な道具こそが、私たちが提案する「運転のエンディングノート」なのです。

「エンディングノート」に対する致命的な誤解

「エンディングノート」という言葉を聞くと、やはり多くの人が「縁起でもない」「早く天国に行けということか」と顔をしかめるかもしれません。しかし、それは大きな誤解だと考えています。私たちが提案する「運転のエンディングノート」は、決して免許返納を促進するためのものでも、免許返納後の対応を家族に指示する遺言書のようなものでもありません。

これは、これまで自らの力で人生の荒波を乗り越えてきた高齢ドライバーの皆さんが、「これから先も自分らしく運転を続けるための能動的な『作戦の書』」です。だからこそ、私たちはこれを、すべての誇り高きドライバーの方々に強くお薦めしたいのです。この運転のエンディングノートが、なぜ高齢ドライバーの皆さんの運転ライフの質を高めるのか。心理学の確固たる理論をもとに、その秘密を紐解いてみましょう。

「いつ来るか分からない終わり」と「自らコントロールできる引き際」の決定的な違い

一般的な人生のエンディングノートは、いつ訪れるか分からず、基本的に自分ではコントロールできない「死」という、やや「受動的(受け身)」な要素をどうしても含んでしまいます。そのため、具体的なスケジュールや目標が立てづらく、書いているうちにどこか後ろ向きな気持ちになりがちです。

しかし、「運転のエンディングノート」はこれとは本質的に性質が異なります。何歳まで車を運転するか、あるいは、これからどんな車に乗り換え、素晴らしい景色を、誰と見に行くか。これらはすべて、高齢ドライバーの皆さんが能動的にコントロールし、主体的に関わることができる領域なのです。

心理学における高名な理論である「自己決定理論(Self-Determination Theory)」では、人間は「自分の未来(行動)を、他人に強制されるのではなく、自分の意志でコントロールしている」と実感するとき、最も高いモチベーションと前向きなエネルギーが湧き上がると実証されています。他人から限界(ゴール)を決められるのではなく、自分自身で「運転人生」をデザインする。この「受動から能動へのシフト」というアプローチの違いこそが、高齢ドライバーの皆さんのこれからの取り組み姿勢を劇的に変えるのではないでしょうか。

目標が「今この瞬間」の運転の質を劇的に変える

「いつ何が起きるか分からないのだから、先の準備なんてせず、今を楽しく生きればいい」という意見もあります。一見、刹那的で前向きな生き方に見えますが、心理学の「ゴール設定理論(Goal-Setting Theory)」の視点から見ると、実はここにもう一つの見落とせない真実があります。

人間は、「具体的で明確なゴール(目標)」が目の前にセットされている時こそ、今この瞬間の行動の質や集中力が最大化するという考え方です。運転のエンディングノートに書き込むことで、皆さんのタイプに合わせて、日々の運転に以下のような劇的な変化(質の向上)が起こると考えています。

  • 「家族に迷惑をかけたくない」という優しさと調和を大切にする人へ
    「〇〇歳まで絶対に運転を続け、家族の移動を俺が支える」という具体的なゴールをセットします。すると、日々の運転から「いつまで乗れるだろうか…」という漠然とした不安(ノイズ)が綺麗に消え去ります。結果として、脳のエネルギーが「目の前の安全運転」へと100%集中するようになります。
  • 「今を全力で楽しみたい」という情熱と開拓者精神を持つ人へ
    「〇年後、愛車であこがれの地へドライブに行く」「最新のサポカー機能(先進安全技術)を完璧に使いこなす」という能動的なプランを掲げます。すると、毎日のちょっとした移動が、ただの「作業」から「中身の詰まった、意味のある時間」へと進化します。

「終わり(ゴール)」を意識して運転のエンディングノートを書き込むことは、決して将来を悲観し、気持ちを暗くすることではありません。むしろ、「今この瞬間のドライブの質」を劇的に高め、これからの運転人生を2倍も3倍も豊かに楽しむための、最強の武器なのです。

「返納しろ」と言わせない 誇り高きドライバーの武器

世間を見渡せば、「高齢ドライバー」という言葉に続けて、家族といった「自分以外の外側」から「免許返納」という重苦しい言葉が語られるようになっています。長年、社会の第一線で戦い、プライドを持って運転をして、家族のために貢献してきた高齢ドライバーの皆さまに対して、「歳なんだから、危ないから運転は止めて」と受け身の姿勢で引き際を迫られることほど、理不尽で屈辱的なことはありません。だからこそ、多くの高齢ドライバーの皆さんが防戦一方で反発してしまうのは、人間として当然の反応なのです。

しかし、私たちが提案する「運転のエンディングノート」は、その歪んだ構図を根本からひっくり返します。このエンディングノートを手に入れ、当者意識を持って高い目標を定め、中身の詰まった未来について考える姿。そこにあるのは、周囲の声に怯える高齢ドライバーの姿はありません。圧倒的に強い運転への思いと、自らの衰えをカバーする気力に満ちた、洗練された熟練ドライバーの姿です。

その時、高齢ドライバーの皆さんは周囲に対して、堂々とこう言い放つことができるはずです。

「俺には、自分で描いた完璧な運転計画(プラン)がある。そして今、その目標に向かって邁進し、誰よりも質の高い安全運転を実行している最中だ。……そんな俺に向かって、今すぐ免許を返せなんて言えるやつがいるなら、どうぞ前に出てきて手を挙げてみろ!」

それだけの圧倒的な自信と、裏付けされた具体的な行動を胸に抱くためのツール。それこそが、この「運転のエンディングノート」の真の姿であり、高齢ドライバーの皆さんを外圧から守る最強の「武器」なのです。

人生の集大成を、高齢ドライバーの皆さん自身の運転で

「エンディング」という言葉の本質は、決してネガティブな要素ばかりではありません。むしろ名作映画のクライマックスのように、「自らの人生の偉大な時期を、最高の形で、美しく見せる」という意味だと考えています。

外から言われて不本意に免許を返納する。そんな防戦一方の受動的な未来か、それとも、自ら高い目標をたしなみとして掲げ、人生の開拓者として圧倒的な質の高さを証明しながら、能動的に邁進する未来か。

最高の運転人生を、最後の1秒まで高齢ドライバーの皆さん自身がプロデュースし、皆さん自身の運転で駆け抜ける。私たちは今、この「運転のエンディングノート」を、誇り高きすべての高齢ドライバーの皆さんへ、強い敬意を込めてお薦めいたします。

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