誇り高きドライバーに贈る「運転のエンディングノート」と常識をひっくり返す「返活」のすすめ

前回のブログで「運転のエンディングノート」の必要性について、私なりの想いや考えをまとめてみました。これまでにない提案でしたから、皆さまからの賛否両論もあると思います。「そこまでして運転にこだわる必要があるのか」「ネーミングからして縁起でもない」といった声もあるでしょうし、すべての方から支持が得られるわけではないと思います。しかし、それでもなお、「人生の最後の1秒まで、進むべき道は自分自身で切り拓くべきだ」という私の信念が揺らぐことはありません。

振り返ってみれば、これまでの人生のなかで、「もしも最初から誰かが用意してくれた確かなレールがあって、その上をひたすら安全に進むだけでいい人生があるなら、そっちの生き方を選んだ方がどれだけ楽だっただろうか」と思う瞬間が私にもありました。自らレールを敷く生き方は、孤独で、不条理(筋道や道理が通らないこと)で、苦労が絶えないからです。

しかし、たとえ目の前に道がなく、自分が這いつくばってレールを敷かなければ1歩も前に進めないような泥臭い選択であったとしても、そこには「敷かれたレールをただ歩んできた人」には絶対に味わえない、至高の充実感と達成感があります。自分の意志で人生をコントロールしている、生きているという実感がそこにはあるのです。

その味を一度でも知ってしまった人は、いくつになってもその興奮が忘れられず、「もう一度チャレンジしてみよう」という前向きなエネルギーが湧き上がってくると思います。私は、まだその味を知らない人や、外圧によってその味を忘れさせられそうになっている人にこそ、自分の手で人生をプロデュースする豊かさを是非味わってほしいと願っています。

とはいえ、そのチャレンジが膨大な時間を浪費し、多大なリスクを伴い、結果として後悔を招くようなものであれば、私は決してお薦めはしません。でも、それが日常のちょっとした意識の変革であり、誰にでもできる簡単なアクションから始められるものであるならば、やってみる価値は十二分にあるのではないでしょうか。だからこそ、私はすべての誇り高きドライバーの皆さまへ提案したいのです。「ご自身の運転人生を最高のものにするために、今こそ『運転のエンディングノート』を作ってみませんか」と。

「運転のエンディングノート」というパラダイムシフト

「運転のエンディングノート? なにそれ?」「エンディングノートは知ている。何となく意味もわかる。だけど『運転の』ってどういうこと?」 そんな疑問を抱かれた皆さま!それこそ私が待っていた最高のリアクションです。

「運転のエンディングノート」という言葉を聞いて、瞬間的・反射的に「NO」と言わなかった皆さんは、心のどこかで「興味」や「好奇心」を感じていただいたのだと思います。きっと普段から「新しいことにチャレンジしたい」「自分の人生のレールは自分で敷きたい」という前向きな欲求を持っていらっしゃる証拠です。おそらく、一般的な「エンディングノート」という言葉にはさほど惹かれなくても、「運転の」という言葉がくっついた瞬間に、あなたの脳に何らかのインスピレーションが生まれたのではないかと思います。

それは皆さんが日常的に車を運転し、車を愛し、あるいは仕事や生活の絶対的なパートナーとして車が生活の中に深く溶け込んでいるからだと思います。その一方で、「エンディングノート」という言葉を耳にした瞬間「遠回しに早く免許返納しろって言いたいのか」「自分はまだそこまで老け込んでいないから不要だ」と身構えて、拒絶反応が現れてしまうこともよく理解できます。

しかし、「免許返納を促すためのもの」という考え方も「まだ年齢的にまだ早い」という捉え方も、どちらも間違っている、と考えています。まず、私たちが提唱する「運転のエンディングノート」は、運転を諦めるために書くものではありません。これは、人生のエンディングノートを書く行為が「死ぬために書く」ものではないのと同じです。どちらのエンディングノートも、作成する目的の一つに「今この瞬間の、生活や行動の質を劇的に向上させること」があります。

正直に申し上げれば、エンディングノートを作らなくとも、日々の生活を送るのに大きな支障はありません。ただ流れる時間に身を任せ、その場しのぎで生き、何のために生きているのかを深く考えずに、ただひたすら時間を浪費していく。そんな生き方もあると思います。 しかし、その一方で、「自分は〇〇のために〇〇するのだ」という明確な意味を確認し、自身の成長やその達成感を感じながら、一歩一歩前に進む、という生き方もあります。

この2つの生き方を並べたとき、どちらがより「あなたらしい」生き方でしょうか。 即座に拒絶しなかった皆さまは、無意識のうちに後者の「意味のある生き方」にこそ価値があると感じているのだと思います。そしてこのアプローチは、人生のゴールがうっすら見え始めてきた世代だけに必要なものではありません。年齢に関わらず、まだまだ人生のゴールが遥か先にある若い世代にだって、全く同じことが言えるのです。

私の嫌いな言葉に「暇つぶし」というものがあります。暇つぶしにスマホのゲームに興じる、暇つぶしに目的もなくテレビを眺める。そんなことを考えたときにいつも思うのは、神様は私たちに不平等、という試練を与えているなあ、ということ。常に時間がなくてせわしなく働いている人もいれば、スマートにそつなく仕事をこなす人もいる、そして時間を持て余す人もいる。しかし、神様が、唯一地球上のすべての人間に100%平等に与えてくれた資産があります。 それは「時間」です。

大富豪であっても、スーパースターであっても、そして凡人の私であっても、1日24時間という枠組みだけは完全に平等です。その唯一平等に与えられた奇跡の資産を、「暇つぶし」という名目でただ消滅させてしまうのは、あまりにももったいないと思います。もっと意味のあることに使って、少しでも役に立ちたいと願うのが、人間の本来の姿であるはずです。

しかし、暇つぶしでゲームをしたりテレビを見ること自体が「悪」なのではありません。見方を変えて、そこに「目的」を持たせればいいのです。「将来ゲーム業界でヒット作を作るための準備としてゲームをする」「大切な友人と最高の食事を楽しむためのお店情報をテレビで探す」「愛する恋人を笑顔にするためにお笑い芸人のトーク技術を研究する」「人の心の機微を学ぶためにドラマを真剣に鑑賞する」等々。

これらは一見、自分の行為を正当化するための「言い訳」に聞こえるかもしれません。しかし、たとえ大義名分であっても、自分の行動が「何かの役に立つ」という明確な目的意識を持った瞬間、人間から後ろめたい気持ちは消え去り、その行為に対する集中力と真剣みは劇的に増大します。

運転も全く同じです。毎日、ただ漫然とアクセルを踏み、移動手段として何も考えずに運転するのではなく、その運転という行為に「意味」を持たせることが重要なのです。だからこそ、年齢や運転歴に関わらず、すべてのドライバーに「運転のエンディングノート」が必要なのだと、私は考えています。

試行錯誤から生まれた「作戦の書」

では、その「運転のエンディングノート」とは一体どのようなものなのか。言葉で語るだけでなく、私は実際にゼロからカタチにしてみることにしました。そして、いざ作ろうとして痛感したのは「エンディングノートを作る」という行為の難しさです。一般的にエンディングノートを作る、といえば、すでに用意された市販の様式に「記入すること」を指します。エンディングノートそのものをゼロから考え、独自の様式を組み立てるというのは、想像以上に大変で、そのノウハウに関する情報を見つけ出すのも至難の業でした。

そこで私は、様々なエンディングノートを入手し、研究・参考にしながら、試行錯誤を重ねて「運転のエンディングノート」のプロトタイプを自作することにしました。

まず感じたのは、人生のエンディングノートは、財産、葬儀、病気、人間関係など、まとめなければならない情報が膨大になり、重厚で、記入する前に気が重くなりそうだ、ということです。その点「運転のエンディングノート」は情報を絞ることができそうです。

そこで、全体のボリュームを極力少なくし、「面白く、楽しく、これまでの輝かしい運転人生を振り返られること」を最優先に心がけようと思いました。自分がこれまでどんな気持ちで運転をしてきたか、車とともにどんな素晴らしい思い出を作ってきたのか、そしてこれから先、どんな素晴らしい景色を誰と見に行きたいのかを、ワクワクしながら書き込めるようにしました。

その結果、完成した「運転のエンディングノート」は、こちらからダウンロードできます(随時バージョンアップをしますので、あらかじめご了承ください)。

完成したノートを、これまで何人かの方々に実際に見ていただきました。そこから返ってきた反応は、実に多種多様で興味深いものでした。「これでもページ数が多く、書く側が大変かもしれない」 「今の時代、そもそも『書く』という習慣自体が薄れているから、そのハードルをどうクリアするか」 「この項目は本当に必要なのか?」 「これを有料で販売するのか?」等々。

これらの意見はすべて一理あり、非常に貴重なアドバイスと感じました。しかし、現時点ではあくまで「試作品(プロトタイプ)」です。まずは何よりもこのコンセプトに興味があり、自分の運転人生に主導権を持ちたいと考えてくださる方に、このノートを自由にダウンロードして使っていただきたいと考えています。そして、実際に使ってみたリアルなご意見や手厳しいフィードバックをたくさんいただきたいと考えています。

このように多くの方々からご意見を募る際、最も頭を悩ませるのは「相反する意見」をいただいたときにどちらを採用すべきかという判断です。また、すべての意見を真に受けて反映しようとすればするほど、ボリュームがどんどん膨れ上がり、結果として誰からも使われない「重たいノート」になってしまうリスクもあります。そこは、こちらで判断させていただくことをあらかじめご容赦いただき、エッセンスを凝縮することで、このノートをより洗練された、世界に一つだけの「作戦の書」へとブラッシュアップしていきたいと考えています。

常識をひっくり『返』す!「返活」に込めた逆転の美学

世の中に「エンディングノート」という言葉が普及しています。「エンディング」という言葉にはマイナスのイメージを感じる人も多く、別の言葉を使うことも考えました。しかし、この「エンディングノート」という言葉を発するだけで、誰もがある程度具体的なイメージを共有できる「マジックワード」としてのメリットがあり、この言葉を使うことにしました。

それでも、私たちは「エンディング」や、同時に使われることが多い「終活」という言葉に対しても、どうしても過剰に敏感になってしまいます。これらの言葉の持つ「陰の部分」、つまり老い、衰え、終わり、喪失といったネガティブな側面ばかりが強調され、心を暗くさせてしまう傾向があるのは否定できません。

この言葉の持つ陰のイメージをいかに払拭し、ポジティブなエネルギーへと転換できるか。それこそが、これらの言葉を扱う者としての「腕の見せ所」であり、それが無事に達成されたとき、高齢ドライバーの前に明るい未来の選択肢が広がると信じています。

昨今、世の中では「〇活」という言葉が溢れています。「就活」「婚活」に始まり、「ポイ活」や「推し活」など、短い言葉で自分たちのアイデンティティや行動を説明することがトレンドになっています。そこで私は、高齢ドライバーが自らの意志で最終的には誰もが免許返納することになるまでの一連の能動的な活動を、強い決意を込めて「返活(へんかつ=免許『返』納『活』動の略)」と命名し、社会へ提案させていただきました。

ただ、「返納」の「返」という文字も、一見すると「権利を差し出す」「諦めて手放す」という、受け身でネガティブなイメージを持たれがちです。しかし、物事の陽の側面に目を向ければ、この「返」という一文字には、現状の重苦しいイメージを180度引っくり返す、凄まじい逆転のパワーが秘められていることに気づきました。私たちが提唱する「返活」の「返」には、誇り高きドライバーを奮い立たせる「3つの逆転の意味」が込められています。

1. 世間の常識を:ひっくり『返』す
世間では「高齢ドライバーの事故対策=一律の免許返納」が常識とされています。しかし、この「運転のエンディングノート」を作ることは、安全な運転をこれからも続けようとするマインドをさらに強化することにつながり、「免許返納」一辺倒に凝り固まった世間の固定観念を根底からひっくり『返』します。

2. 人生の主導権を:奪い『返』す
これまでの免許返納問題は、家族からの「危ないから返して」という外からの圧に対し、本人が感情的な言い訳をして拒絶するという、高齢ドライバー側が圧倒的に不利な「防戦一方」になる歪んだ構図でした。しかし、渾身の作「作戦の書」を自ら提示することで、家族に握られかけた運転人生の主導権を、自分の手に奪い『返』すのです。

3. 外圧の攻勢を:跳ね『返』す
安全運転をするための「答え」は、誰かに教えてもらい、強制されるものではなく、あなた自身の心の中にある、と考えています。この「運転のエンディングノート」を通じて自分の「運転の理想像」を引き出し、言語化すことで、周囲からのステレオタイプな考えの押し付けや外圧を、確固たる確信・根拠をもってスマートに跳ね『返』す(鋭いリターンを決める)ことができます。

これらを実行するための活動こそが、真の「返活」だと考えています。これこそがまさに、誰かが引いたレールに乗っかる生き方を拒絶し、自分でレールを引き、そのレールを使って自分の進みたい方向へ堂々と進んでいくための「返」という力強い生き方だと思っています。

さらに言葉を紡げば、「返」は英語で「バック(BACK)」を意味すると考えています。高齢になると車のバック操作が苦手になる人が増えますが、それならばこの弱点を補強し、克服する作戦を練ることも「返活」だと思います。ハンドル適切に操作し左右に切り『返』す操作、アクセルからブレーキへ踏み『返』す操作、これらすべてに「返」の本質が宿っています。

私たちは本能的に、どうしても物事の影や陰の部分、つまりリスクにばかりに目を向けてしまい「危ないから」「もう歳だから」という理由で挑戦することを諦めてしまいがちです。しかし、今求められているのは、物事の「良い面、陽の部分」に光を当て、そこから自分自身の強みを発見してそれらを伸ばしていく姿勢ではないでしょうか。

このような前向きな姿勢こそが、「自分の人生を最後まで諦めずに挑戦する」という行為となり、皆さまの背中を力強く後押ししてくれるはずです。だからこそ、私は物事の明るい部分に目を向けることの重要性を訴え続けます。周囲から言われて不本意に運転を止めるような未来ではなく、自ら高い運転の目標(理想像)を掲げ、質の高い運転をし続ける未来へ。

運転人生のクライマックスを、あなた自身の運転で、あなたのプロデュースによって美しく理想通りに駆け抜けるために。まずはこの「運転のエンディングノート」を、あなたの運転のパートナーとしてお役立てください。皆さまからの熱いご意見・ご要望を、心よりお待ちしております。

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