安全運転マインドが事故を防ぐのではない 安全運転マインドが行動を起こし、それが事故を防ぐ

「安全運転の意識(マインド)を高めよう。」交通安全の世界では、これまで何度も繰り返されてきた言葉です。それでも高齢ドライバーの事故削減や運転寿命を延ばすためには、この「安全運転マインドの醸成」こそ、何よりも大切だと考え、この場で何度も発信を続けてきました。

しかし、最近になって私の言葉が足らないために、一種の「誤解」を与えているのではないかと、考えさせられる局面がありました。そこで、しっかり言葉を補って、私の考えを改めて申し上げておかなければならないと思っています。それは

「安全運転マインドが、直接事故の発生を防ぐのではない。安全運転マインドが必要な『行動』を起こし、その具体的な行動の積み重ねこそが事故を防ぐのだ」

ということです。

事故を防ぐための社会の様々な取組を分かりやすく理解するためには、一本の「樹木」を思い浮かべるとイメージしやすいと考えています。現在、自動車メーカーや大手企業、あるいは行政の皆さんが少しでも事故を無くす、という思いで実施していただいている各種対策は、いわば樹木の「枝葉」の部分にあたると考えています。

  • 最新の衝突被害軽減ブレーキ(AEBS)などの道具
  • ドライブレコーダーの映像を用いた危険予測技術
  • 道路交通法の改正や事故事例などの情報提供

これらは樹木全体の印象を外見として伝える、一番目につきやすい部分であり、いわばその樹の「象徴」と言える非常に目立つパーツです。こうした先端技術や確かな情報を大企業等が作り上げ、社会に提供してくれていることには、大きな安心感がありますし、敬意を表せざるを得ません。

しかし、いくら青々と立派に生い茂った枝葉があっても、それを支える「幹」や「根」が細かったり、腐っていたらどうなるでしょうか。最近も公園内の樹木や街路樹が強い風雨が理由と思われる根本付近での折損や樹木そのものが根こそぎ倒れる、という事故が連続して発生しています。

この、外見からはあまり目立たないものの、樹木全体を力強く支える「根」や「幹」があるからこそ、枝や葉が活躍することができる。その根や幹に相当するものこそが、ドライバー一人ひとりの「安全運転マインド」だと考えています。枝や葉という道具や技術をいくら立派に整えても、根や幹であるマインドがしっかりしていなければ、その役割を十分に果たすことはできません。だからこそ私は、この根幹を強化することが最優先であると考えています。

「マインド」と「安全運転」を橋渡しするプロセス

しかし、こうして「根幹(マインド)が大切だ」と説明を重ねていくと、次のような素朴な疑問や反論が湧き上がってくることがあります。「では、マインドさえ育めば、本当にそれだけで安全運転ができるようになるのか?」

たしかに、安全への意識が高まれば、結果として安全運転につながる側面はあるでしょう。しかし、従来の「マインドを育てよう」というスローガンだけの啓発活動には、大切な視点が抜け落ちているように思います。それでは、たしかに私の真意が正確に伝わっていなかったのだと感じました。

安全運転しようとするマインドは運転に不可欠です。しかし、それだけで自動的に安全運転が実現できるわけではありません。「マインド」と「安全運転の実現」という両者の間には、絶対に省略してはならないプロセスがあるのです。それが「行動変容」です。

図式化するならば、以下のようになります。

「マインド(意識の変革)」⇒「行動変容(具体的な動き)」⇒「安全運転(事故防止)」

どれほど大手企業が優れた技術や道具、最新の情報(枝や葉)を提供してくれても、それを「積極的に自分の運転に取り入れよう」「過信せずに活用しよう」と思うかどうかは、すべてドライバー自身のマインド次第です。確かなマインドがあって初めて、人間と技術や道具との間に「橋渡し」が生まれます。

しかし、それだけではありません。安全運転マインドが宿ると、ドライバーは次のような具体的な「行動」を自発的に起こすと考えています。

  • 自身の運転を客観的に見直し、現状を把握・自覚する
  • 夜間や雨天時の運転を控えるなど、行動範囲や運転する条件(制限)を自ら見直す
  • 睡眠や休憩を適切に執り、自身の運転コンディションを常にベストな状態に維持する
  • 体調に異変を感じたら、ハンドルを握らないという選択をする

このように、マインドが「行動のスイッチ」を押す役割をはたさなければ意味がありません。根も、幹も、枝も、葉も、すべてが一連のシステムとして充実したとき、その存在は強固なものとなります。その後の人生において「事故」という名の大雨が降ろうとも、「高齢化」という台風のような強い風が吹こうとも、しっかりと耐えられる状態が完成する。つまり、「事故を起こす確率が低くなる」という次元へ到達できると考えています。

「行動変容」すると主張する「エビデンス」の壁

ところが、この「行動変容」につなげることを事業の柱としたとき、私は大きな壁にぶつかることになりました。「机上の理論として『マインドがあれば行動につながる』という主張は分かった。だが、本当にそうか? そのエビデンス(科学的根拠)はあるのか?」という指摘です。ビジネスや公的な仕組みとして成立させるためには、根拠のない思い込みや精神論の提案は許されません。

もちろん、私たちが提唱するアプローチには学術的根拠が存在します。その根底にあるのが心理学の「ルビコンモデル(意志決定のアクション・フェーズ・モデル)」です。このモデルは、人が行動を起こすまでのプロセスを「前決定フェーズ(選好段階)」「前アクションフェーズ(計画段階)」「アクションフェーズ(実行段階)」「後アクションフェーズ(評価段階)」の4つに分類して捉える思考フレームワークです。人が何かを決意して行動に移る際、引き返せない一線を越える(ルビコン川を渡る)とその後のプロセスはある程度自動的に進む、ということを示しています。

このルビコンモデルにおいて、最も重要であり、かつ最大のボトルネックとなるのが「目標設定」です。人間は、自身の内発的な動機に基づいた明確な「目標」が設定されさえすれば(自己設定理論)、そこから先は自動的に行動へ向かってエネルギーが流れ出すという性質を持っていると言われています。

しかし、どれほど理論を用いて説明しても、実際の事業の場面で「本当にその目標設定だけで、その後の安全運転に向けた行動変容が100%起きると言い切れるのか?」という壁にぶち当たり、その因果関係を説明するエビデンスを求められることがありました。ここで明確な数字や証拠を出せなければ、事業の屋台骨となるビジネスモデルそのものが揺らいでしまう――そんな危機感を強く抱きました。

こうした場面に直面すると思考が膠着します。「完璧な行動変容までを証明してから事業を続けるか(=1)」、それとも「エビデンスの壁を前に事業モデル自体をあきらめるか(=0)」。単純に考えれば、この「0か1か」の二者択一になるかもしれません。

しかし、これは高齢ドライバーに対して「免許を返納するか(=0)、それとも頑張って運転し続けるか(=1)」を迫るの二択、現在の社会の歪んだ構造とまったく同じではないか、と気づいたのです。

私は、この二択では高齢ドライバーを取り巻く問題は解決しないと考え、両者の間に問題を解決する第三の選択肢がある、というアプローチを提案してきました。ならば、自身の事業モデルにおいても「0か1か」ではない「第三の選択肢」を見つけ出さなければなりません。

こうして苦悩の末に導き出した答えが、『運転のエンディングノート』という発想でした。

もともと私が描いていた安全運転へのサポートの流れは、

「気づき」⇒ 「目標設定」⇒「計画策定」 ⇒ 「進捗管理」

という一連の線のアプローチでした。「計画策定」以降のフェーズは、まさに行動変容の色が濃くなる部分であり、それゆえに説得力のあるエビデンスを求められます。

ならば、その手前、つまり「目標設定(自分の運転のゴールを発見する)」の段階でプログラムをいったん止めるとしたらどうでしょうか。ルビコンモデルから、あえて「その後の具体的な行動変容・実行プロセス」の要素を切り離し、『目標発見までをゴール』として設定し直すのです。

このように定義することで、事業として「行動変容云々の厳密なエビデンス」を求められるシーンを未然に防ぐことができます。当初考えていた「気づきという「点」から、行動するという「線」へ繋げるアプローチ」はいったん休止し、その範囲を絞り込む。それは、一見すると後退に思えるかもしれません。

しかし、振り返ってみれば、世界最大の通販サイトであるアマゾン(Amazon)も、世界中のあらゆる商品を扱うという壮大なビジョンを掲げながら、最初からそこを目指すのではなく、創業期はまず「書籍のオンライン販売」という絞り込んだステップからスタートしました。

私たちの最終的なゴールは、ドライバーを行動変容させ、事故のない安全な社会を作ることです。その壮大な理想を変更するわけにはいきません。ただ、その手前に「確実な途中目標」を設け、まずはそこを徹底的に目指す。これこそが、壁を突破するための現実的かつ知的な「第三の選択肢」なのだと確信しました。

『運転のエンディングノート』がもたらす安全社会の一歩

こうして生まれた『運転のエンディングノート』は、ドライバー自身が「これまでの運転人生を振り返り、これから自分は運転とどう向き合い、どう生きたいか」という運転の目標を発見することに特化したプログラムです。

これまでにも、シニアドライバーに対して「自身の運転への気づき」を促す講習やプログラムは存在しました。しかし、どちらかというと、欠点を見つける、という減点方式のアプローチが中心でした。そこに新たに「前向きに自らの運転目標を見つける」というプログラムを一つ追加すること。これこそが、これからの交通安全社会に対する、私たちの貢献になると考えています。

現に、このアプローチは、いわゆる「自分の運転には自信がある」と語るベテランの高齢ドライバーの方々からも非常に好意的な反応をいただいています。説教をされるわけでも、頭ごなしに免許返納を迫られるわけでもなく、自らの意志で『運転の未来』を整理する。これまでにないアプローチとして、市場や当事者の方々に温かく受け止められていることを強く実感しています。そして、「自ら目標を見つける」ということまでならば、こちらが無理矢理エビデンスを証明せずとも、これまで実績がある理論を中心にその正当性をある程度説明でき、自然と(自発的に)素晴らしい安全行動へ移ってくれる人が必ず現れるのではないかと、考えています。

本音を言えば、マインドから直接、安全運転の実現へワープできるなら、それに越したことはありません。マインドが育てば即座に事故ゼロになる、という世界が実現できれば工程が少なくて済みます。しかし、人間の心理や行動はそれほど単純ではなく、その複雑さに向き合うことこそが、私たちに与えられた試練だと考えています。「マインドに基づき、本人が納得して行動を起こし、それが安全運転につながる」というプロセスは、回り道に見えて、最も説得力があるのです。

会社員時代、私は会社の枠を超えて日本の将来を考える仲間たちが集まる会合に参加したことがあります。その際、その会の代表を務めていらっしゃった梅津昇一氏から、一枚の言葉が書かれたカードをいただきました。そこには、今の私に必要な、次のような教えが記されていました。

一念発起

心を変えれば行動が変る

行動が変れば習慣が変る

習慣が変れば人格が変る

人格が変れば運命が変る

       梅津昇一

物事には順序というものがある。そして、一足飛びにコトを成し遂げようとするのではなく、できることから、少しずつ変化を起こし、そして最終的に自分が望む状態を作る。この言葉は、そんな大切な教えなのだと私自身は理解しています。


一番いいのは、「心を変えれば、すぐにでも運命が変わってくれる」ことですし、そう望むのは私だけではないと思います。しかし、そこは簡単ではありません。だからこそ、心を変え、行動を変え、習慣を変え、人格を変える、そこまで努力すれば、運命は変えられる。近道や即効性を求めるのではなく、時間はかかるかもしれないが、努力が変化を起こし、変化がよりいい方向に事態を動かし、そして、目標を掴む。

すべては、自分自身がまず、いかに「心(マインド)」を変えるか、ということにかかっています。それさえできれば、自分の運命も、事故を起こすかどうかの未来も、自分自身の意思でその後をコントロール(マネジメント)することができる。私はこの言葉を、そんな力強い教えとして受け止めています。

「心を変え、行動を変える。そのために、まずは前向きな目標を見つけること」

この『一念発起』の最初のファーストステップを、まずは『運転のエンディングノート』を通じて世の中に実装していきたい。それを、悲願である「安全社会実現」の確かな第一歩にする。そんな強い思いを胸に、私はこれからも事業を推進していきたいと考えています。

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