年齢を重ねた自分とどう付き合うか?「SOC理論」から考える、これからの運転寿命延命戦略

学生時代の私を知る人に話すと、一様に驚かれるエピソードがあります。私は高校時代、ラグビー部に属し、仲間と楕円のボールを追いかけ回していました。そして、わざわざボールを持つ屈強な相手に向かって果敢にタックルを仕掛け、スクラムでは最前列で人間同士が押し合う凄まじい荷重を一身に受けることを日常としていました。当時の私は、そんなことをしても大きな怪我もせず「自分の身体の丈夫さ」に絶対的な自負を持っていたし、それは年齢を重ねてもどこかで揺るがない自信として心の奥底に持ち続けていました。
ところが、少し前にちょっとした「近道行動」をしようと高台からジャンプしたことがありました。頭の中では、体操選手のように華麗に着地を決めるイメージが完璧に出来上がっていました。しかし、現実は非情なもので、着地の瞬間、その衝撃を足腰で吸収しきれず、無残にも前かがみに転倒。結果は「鎖骨骨折」という大怪我をしました。
「ほんのちょっと転んだだけなのに、なぜ……」しばらくの間、その疑念と悔しさが頭から離れませんでした。しかし、痛む身体を抱えながら冷静に考えていくうちに、一つの決定的な事実に突き当たりました。認めざるを得ない事実とて、私の身体は年齢相応にあちこちの機能が衰え、弱体化している、ということを。
最近、学生時代の同級生と集まる機会が多くなったのですが、そのとき決まって話題になるのが健康の話。お互いにどこが痛むとか、何の数値が悪いといった「不健康自慢」のようなやり取りが始まるのも、今や日常茶飯事です。還暦を目前に控えた身としては、身体のあちこちにガタが来るのは自分だけの問題ではない、と妙に安心してしまいます。しかし、こればかりは抗うことのできない「自然の摂理」として、冷静に受け入れるしかないのでしょう。
ただ、ここで救いなのは、私の友人たちが決して悲観して「人生終わりだ」と絶望しているわけではない点です。彼らの話を聞いていると、「最近ウォーキングを始めたんだ」とか「少し食事制限を意識していてね」といった前向きな工夫や行動が必ずセットになっています。一生付き合っていく自分の身体だからこそ、今の自分にできる最適な状態を保ち、維持・向上させていこうという強い意志が窺えるのです。
かく言う私も、若い頃に比べて基礎代謝が落ち、最近特定保健指導を受けたこともあって、最近は意識的に以前よりも運動の頻度を上げるように努力しています。特に、大好きな車の運転をこの先も長く楽しむためには、足腰の機能を維持することが絶対に不可欠だと痛感しているからです。
そんな「衰えを受け入れつつ、どう前向きに生きるべきか」ということを模索していた時、以前目にした、ある心理学の言葉が再び脳裏に浮かんできました。それが「SOC理論」です。
弱さを認めることから始まる「SOC理論」という生存戦略
「SOC理論」という言葉に、あまり馴染みがない方も多いかもしれません。これは1990年にドイツの発達心理学者ポール・バルテス(Paul Baltes)らが提唱した、心理学や高齢者福祉、リハビリテーションの分野で非常に頻繁に用いられる重要な理論です。日本語では「選択最適化補償理論」と訳されます。
なんだか堅苦しい、高尚な響きに聞こえますが、その本質は極めて実践的な「人生後半の生存戦略」です。人間は高齢になると、視力や聴力、反応速度といった様々な機能がどうしても低下してきます。SOC理論では、その現実をまずは冷静に認めた上で、以下の3つのステップを踏んで人生を再構築していくべきだと説いています。
- S:選択(Selection)
失われていく機能や限られたエネルギーを自覚し、自分にとって本当に重要な目標や領域を「選択」して絞り込むこと。 - O:最適化(Optimization)
選択した大切な領域に対して、自分の残された資源(体力・時間・能力)を集中させ、最高のパフォーマンスが出せるよう「最適化」すること。 - C:補償(Compensation)
衰えて足りなくなった部分を、他の技術、道具、あるいは他者のサポートなどで「補償(カバー)」すること。
ここで多くの人が最初につまずくのが、「まず現実(衰え)を認める」という最初の関門だそうです。かつての私のように「若い頃はラグビーをやっていたから大丈夫」「まだ現役だ」というプライドが邪魔をして、衰えを拒絶したくなるのは人間の本能かもしれません。
しかし、SOC理論が秀逸なのは、この「諦め」のプロセスを消極的な敗北ではなく、次のステップへ進むための「積極的な方向転換」として捉えている点です。失われたものに執着して時計の針を戻そうとしても、タイムマシンがない以上、それは絶対に不可能です。「無い袖は振れない。ならば、今手元にある手札(リソース)を使って、どのように勝つ作戦を立てるか」。そうやってマインドを前向きに切り替えることこそが、この理論の真髄だと感じます。
運転延命へのアプローチ 強みを活かし、弱みを補う
このSOC理論のフレームワークは、昨今の「高齢ドライバーの免許返納問題」の議論に驚くほどピタリと当てはまる、と考えています。高齢ドライバーになると、動体視力の低下、視野の狭窄、そして咄嗟の判断における反応速度の低下など、衰える身体機能は枚挙にいとまがありません。
ここでも最初の関門は「自分はまだまだ運転が上手い」というプライドとの戦いです。しかし、もしここで、客観的な数値やデータ(例えば自動車教習所での高齢者講習の測定結果など)で自分の変化を突きつけられれば、人間は「なるほど、これが今の自分の現実か」と納得感を持って受け入れやすくなります。
現実を受け入れたら、次はいよいよ「手持ちの球」から作戦を考える番です。ここで最も重要になるのが、自分が持つ「球」の「棚卸し」を自分自身の「強み」を見つける、という発想で行うことです。この場合の「強み」とは、何も町内一とか日本一といった、誰かと比べてナンバーワンである必要はまったくありません。他人に自慢できる、あるいは自分の中で誇りに思えるレベルで十分なのです。 「若い頃に比べてスピードは出さなくなったが、ハンドル操作の丁寧さには自信がある」 「何十年も無事故無違反を貫いてきた安全への意識がある」 こうした些細なことで構いません。その自分の強みを再発見し、それをさらに活かしていくという前向きな発想を持つことが大切なのです。
強みを中心に棚卸しをしたら、それを「運転の理想像」と比較し、多少不足しているだろう部分をどのように補って(Compensation)いくかを考えます。
もちろん、棚卸しの過程では「弱み」も見つかります。もし克服できる弱みなら直せばいいですが、長年染みついた癖や、年齢による認知・行動パターンという弱点を今さら修正しようとしても、なかなか難しいのも現実です。かえって「やっぱりダメだ」とモチベーションを下げてしまう原因にもなりかねません。例えば、「カーナビの指示ルートを一度逸脱してしまうと、パニックになって運転が荒くなる」という弱みを持つ人がいたとします。これを「パニックを起こすな」と精神論で直そうとするのは現実的ではありません。
それならば、こう考えてはいかがでしょうか。「自分はルートを外れると焦る弱みがある(現実の受容)。幸い、自分は時間に余裕を持って出発することには抵抗がない(強みの発見)。であれば、マインドと情報を切り替え、いつもよりさらに30分早く出発することをこころがけよう。そうすれば、途中で道を間違えてナビが再検索を始めても、時間的な余裕が心にゆとりを与え、焦らず安全にリカバリーできる(補償の確立)」
このように、足りない部分を「技術(運転手順の見直し)」「道具(安全運転サポート車の導入)」「情報(事前のルート確認)」「マインド(心の余裕)」などで補っていくことこそが、高齢になっても安全にハンドルを握り続けるための、極めて現実的な解になるのではないでしょうか。
心理学のアプローチが教える、豊かな運転ライフのヒント
車の運転を続けるべきか、それとも免許を返納すべきかという議論は、一見すると単なる交通安全の問題のように思えますが、実は「老いとどう向き合うか」という、人間の根源的なテーマそのものと言えます。
だからこそ、このような現象を説明するために、SOC理論をはじめとする心理学の様々な理論が生まれてきたのだと思います。そして、人間の生来の行動特性に基づいた問題であるならば、その解決へのヒントもまた、理論の中でたくさん説明されている、と考えます。
一般に「理論」と言われると、何だか小難しくて敷居が高いものに感じられるかもしれません。確かに、カタカナや英語で表現される専門用語を覚えるのは一苦労です。しかし、こと心理学に関する理論においては、不思議と拒絶反応は起きにくいと感じます。なぜなら、それらの理論が示している内容を自分の心に問いかけてみれば「あぁ、確かにそういうところがあるな」と、何となく直感的に理解できる身近なものだからです。学問としての敷居の高さに対して、不思議なほどの親近感と納得感があるのが心理学の特徴だと言えます。
年齢を重ねることは決して恥ではないと思います。むしろ衰えを認め、選択し、最適化し、補償する。このSOC理論の手順に沿って、自分の運転、そしてこれからの人生の歩み方を考えてみること。それ自体が、私たちがこの先も長く安全に運転を続け、社会とつながり続けるための、最大のヒントになるのではないでしょうか。
