社会問題を解決することの難しさ 建設的意見の提示と売り込み行為の紙一重の違いと難しさ

意見を言うこと、代替案を提示すること

私たちは日々の生活をする中で、様々な出来事に対して「意見」を持つことがあります。それは社会の出来事であったり、身の回りの些細なことであったりします。意見を持つこと自体は非常に大切なことで、子どもから大人に成長するバロメータの一つ、と考えています。ですから、自分の子どもたちには、もし現状に課題を感じたのなら、それを意見として積極的に言おう、しかし、それを言いっぱなしにするのではなく、その代替案を示すことが何より重要だ、と伝えています。

そんな考え方を持っていると、テレビのニュース番組などで問題点を指摘するコメンテーターや議員の方々の発言は、具体的な解決策や別の方法等を提示する人は意外と少ないんだなあ、と感じてしまいます。問題点を明確にして、意見を発することは非常に重要ですが、それだけでは建設的な議論や解決に向けて前進する、ということには繋がりにくいのではないでしょうか。

行動し、結果を出すチャレンジャーと意見だけの人

最近、様々なテレビ番組で「令和の米騒動」が取り上げられています。それらを見て強く感じるのは、現状を少しでも打開しようと積極的に行動を起こすチャレンジャーと、様々な意見や批判、例えば組織のルールをかざしたり、時には「ヤキモチ?」と思うようなが発言、で足を引っ張ろうとしているの?という構図です。もちろん、チャレンジ行動にはリスクが伴いますし、結果が伴わない可能性もあります。しかし、今までのやり方では結果を出せなかった、という状況を少しでも変えようと立ち上がった人に対し、結果が出る前から「外野」の人間が批判ばかりするのは、「問題が起きている」と感じながら「解決したくない理由でもあるのかな?」という疑念を感じざるを得ません。

当のチャレンジャーは批判的な意見に対して冷静に対応しているように見えますが、その胸の内では「では、あなたならどうするのか?意見を言うだけでなく、具体的な代替案を示し、行動してみてほしい」と言いたいのではないか、とも感じてしまいます。

意見を言い、そしてその代替案まで提示すことは決して簡単なことではありません。ましてや、実際に行動し、結果を出すことはさらに困難を伴います。しかし、その困難を乗り越え、結果を出そうとする行為そのものが、周囲からの「信頼」に繋がるのだと思います。意見ばかりを言う人はチャレンジャーが結果を出し、信頼を築き上げるのを様子を目の当たりにし、意見を言うだけでなく、代替案を考え、行動し、結果を残すというプロセスが改めて重要だということを感じて欲しいと思います。

代替案を示すことの難しさと取るべき行動

しかし一方で、現状の問題点に対して意見を述べ、さらに代替案を示すことが必ずしも良い結果に繋がるとは限らない、と感じることもあります。特に事業に関わる問題に対して代替案を示すことが相手に「売り込み」と捉えられ、かえって敬遠される可能性がある、ということを最近学びました。

私自身の信条としている、問題点を指摘するだけでなく、何らかの改善案を示したいという強い思いが、時に仇になることがある。それなら、問題点の指摘に留めて、相手から意見を求められた際に自分の考えを述べる方が、受け入れられやすいのかもしれない、と感じてしまいます。

これらの事態を招く原因は、意見を聞く側に問題があるのではなく、意見を言う私たち側の説明が不十分であるためであり、そこから誤解が生じているは間違いないので、まずは私たちの勉強不足を補い、更なる研鑽をしていくことから始めていこうと思います。

最終的には市場が判断

事業の基本はマーケットイン。だから、マーケット(意見を聞く相手)の反応がすべて、だと思います。しかし、自分の信条を曲げてまで、高齢ドラバーが運転を続けるための支援を行うことはどうなのか、という思いもあります。もしかしたら、これも私たちに神様から与えられた試練であり、私たちがまだ完璧ではないからこそ、改善すべき点に気づき、それを直す良い機会なのだ、と考えるべきなのかもしれません。

いずれにせよ、最終的には私たちの活動内容に対する市場の反応から、何が正しかったのか、という審判が下ると思いますので、その時まで、引き続き頑張っていこうと思います。

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