結論先延ばしの罪 早期に方針を定め、具体的対策を実行することが高齢ドライバー問題には必須

先日、長野県で99歳の高齢ドライバーによる痛ましい事故が発生しました。報道に接した際、瞬時に「また逆走事故か」という思いがよぎりましたが、今回の場合はそのドライバーの年齢に驚きを禁じ得ませんでした。
警察庁が公開している「令和6年の運転免許統計」の5ページ目にある「令和6年末時点の運転免許保有者数データ」では、最高年齢層が「85歳以上」とされており、その中で具体的に何歳までの方が現役で運転しているのかは把握できません。しかし、別の情報源である統計調査サイトのデータ(令和2年時点)では、1歳ごとの運転免許保有者数分布が示されており、男性の最高齢ドライバーが95歳位と読み取れます。個人的には、このあたりが「現役ドライバーの限界」という漠然とした認識があったため、今回の99歳という事実に大きな衝撃を感じました。
改めて今回、事故に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げ、一日も早い回復を願っております。そして、このような事故が二度と繰り返されないよう、関係者の方々と共に再発防止策を真剣に考える必要があると強く感じています。今回の事故は、私たち社会全体が高齢ドライバーの運転継続と安全について、より深く、そして具体的に議論するきっかけを与えてくれたと思います。
結論の先延ばしが招くもの
今回の事故の詳細な原因等は警察による捜査を待つほかありません。しかし、あくまで私個人の大胆な推測として、家族が高齢ドライバーに免許返納を強く勧めたものの、本人が「運転できなくなったら買い物も病院にも行けない」「家族が送り迎えをしてくれるのか」といったやり取りがあった、しかし、明確な結論が得られず、結果としてうやむやなままになってしまったのではないか、という想像が脳裏をよぎります。
本来ならば早期に判断すべきこと、結論を出すべきことを先延ばしにし、現状を放置していないか。これは、多くの高齢ドライバーとそのご家族にとって、耳の痛い話かもしれません。確かに、免許を返納するか、あるいは運転を続けるか、という選択は簡単に決められるものではありません。しかし、結論を先送りし、何ら対策を講じないことは、絶対に避けるべき最悪の選択です。でも何らかの方向性について家族等の関係者と合意ができれば、そこから具体的な次の手、つまり具体的な行動計画が見えてくるはずです。
例えば、もし免許返納を決断した場合、地域にどんなサービスがあるのか、そのうちどれを利用するか、という議論ができます。事前にこれらの情報を収集し、家族等と話し合うことで、「運転できなくなること」への漠然とした不安が、具体的な代替手段の検討へと繋がり、結果として円滑な免許返納へと繋がる可能性が高まります。重要なのは、問題が顕在化した時点で主体的に、そして建設的に話し合いの場を設けることだと思います。
「モラトリアム」からの脱却
ここで「モラトリアム」という言葉を考えてみたいと思います。一般的な意味合いとは異なりますが、今回のケースにおいては「猶予期間」と捉えることができます。本来であれば、迅速に決断を下し、次の行動に移すべき状況にあるにもかかわらず、その決断を先延ばしにしてしまう状態を指します。
この状況を打破するために最も重要なのは、運転に関する明確な方向性を早期に決めることです。もし「免許返納」という結論に至れば、移動手段をどのように確保するか、そのために自分は何をすべきか、といった検討すべき内容が明確になります。例えば、近隣のスーパーや病院への移動手段として家族の送迎を頼るだけでなく、地域のボランティア送迎サービスや自治体の乗り合いタクシーサービスなどを積極的に活用する、等の計画を立てることができます。
一方で、「運転を続ける」という選択をしたのであれば、安全に運転を継続するためのコンディション維持、例えば定期的な認知機能検査や、運転技術向上のための講習受講、身体機能維持のための運動など、具体的にとるべき「次の手」の行動が見えてくるでしょう。他にも加齢に伴う視野の狭窄や判断力の低下を自覚し、夜間運転や雨天時の運転を控える、あるいは運転するルートを限定するなど、自ら安全のためのルールを設定することも可能です。
しかし、結論を保留し、方向性を決めないままだと、ずるずると何も対策を取らずに現状を騙し騙し続けることになり、最終的に取り返しのつかない事故に至る可能性が高まります。安全を最優先に考えるならば、免許返納が最も確実な選択であることは間違いありません。しかし、移動手段の確保が困難であるという現実があるならば、そのための具体的な対応を考える必要があります。これは決して簡単なことではありませんが、自身の安全、そして周囲の安全を守るためには、「自分の覚悟」を実現化するための努力が必要な年代であることを自覚することが重要です。
繰り返しますが、最も避けるべきは、判断をせず、その対策も実施しないことです。これを回避するためには高齢ドライバーの皆さんが、できるだけ早い段階でご家族など周囲の方々に、ご自身の運転に関する目標や希望を共有し、宣言することが非常に大切です。多くの場合、家族間で車の運転について深く話し合う機会はこれまで少なかったかもしれません。また「免許を返納しろ」という一択で議論を始めると、かえって建設的な話し合いが難しくなります。お互いにニュートラルな立場で、高齢ドライバーご自身の運転に関する希望や不安を「聞く」「話す」機会を設けることが、非常に有益です。
このような話し合いをきっかけに、高齢ドライバーの意外な一面を発見できるかもしれませんし、特定の運転目標(例えば、孫の結婚式に自分で運転して行く、など)が達成されると、急速に車に対する執着が薄れるケースも考えられます。まるでオリンピック選手が目標を達成した後に「燃え尽き症候群」になるように、特定の目標が達成されることで、自然と運転から距離を置く選択肢が見えてくる可能性もあります。もちろん、それを期待するわけではありませんが、このような話し合いをするかしないかで、結果が大きく異なることは間違いありません。ぜひ、ご家族でこの機会を検討してみてください。
未来へつなぐ視点
交通事故は、絶対に起こしてはならないものであり、事故によって喜ぶ人は誰もいません。しかし、不幸にも事故が発生してしまった場合、それを単なる悲劇で終わらせず、再発防止のための貴重なきっかけと捉えることが重要です。その際「間違い」を正すだけでなく、時には物事の「良い面」や「学び」も見つけ出し、それを参考に未来へと繋げていくことも含まれると考えています。
今回の99歳ドライバーによる事故は、それ自体が反省すべき重大な問題を含んでいて、解決に向けて真摯に取り組むべき課題です。しかし、その悲劇的な側面を除けば、個人的には「99歳まで運転を続けられた秘訣は何だったのだろうか?」と純粋に問いかけてみたい気持ちも湧いてきます。私たちが想像できないような、とっておきの秘訣が隠されているのかもしれません。
この発想が不謹慎であることは重々承知していますが、もしそこに高齢ドライバーが安全運転を続けるための何らかの秘訣があり、今回の事故がその「タガ」が一瞬外れてしまった結果であったとすれば、そこから「見習うべき点」と「注意すべき点」の両方が見えてくる可能性があるようにも感じます。
実現は難しいかもしれませんが、今回の事故は、現役の「超」高齢ドライバーの方々へのヒアリングといった、これまでにはあまり考えられなかった視点の必要性を私たちに気づかせてくれました。この気づきには感謝しつつ、改めて今回も発生してしまった痛ましい事故を無駄にすることなく、再発防止に向けてできることはないかという点を、社会全体で真剣に考えていくべきだと強く感じています。これは交通安全に関わる、我々を含む全ての関係者が共有すべき視点であると思います。