高齢ドライバー問題は”グレーゾーン” 正解が「ない」からこそ、私たちの存在意義が「ある」

私はサラリーマン時代に「コンサルタント」と称される方々と直接触れる機会が何回かありました。その数少ない経験から得た印象は、彼らが「切れ者」だということ。会社の中にいると見えづらい問題の核心を突き、人間関係の複雑さには囚われず、正しい解決策をバシバシ提示してくれる。そんな頼もしい存在でした。
一方で、そのサービスにかかる費用は決して安くはなく「コンサルタント=高い」という印象も強く残りました。その後、私自身も「コンサルタント」を名乗るようになり、「高い」という印象に見合うだけの高い付加価値の提供について真剣に考えるようになりました。そして、単なる知識の提供ではない、真の価値提供とは何か?という問いへの回答に繋がるものでなければならない、と考えています。
『プロ士業』が示す「投資」としての価値
最近読んだ横須賀輝尚氏の著書『会社を救うプロ士業 会社を潰すダメ士業』は、その問いに対する示唆に富んでいました。私自身は士業の資格を持ちませんが、事業をサポートしてくれる士業の方々をどのように選び、協力関係を築けば良いのかという観点から本書を手に取りました。
本書は、タイトルが示す通り、士業の選び方、活用の仕方を具体的に解説しています。特に印象的だったのは、「士業」と「プロ士業」という二つの概念があり、その明確な定義付けです。本書によると、「士業」は相談されたら答える「代行屋さん」であり、そのサービスは単なる「コスト」として扱われます。これに対し、「プロ士業」は、質問される前に自ら課題を発見し、積極的に考え、提案までしてくれる「高度な案件を考え、判断できる人」と定義されています。その仕事は、未来への「投資」だと位置づけられています。
「白か黒か」が明確な問題であれば、士業は単なる代行で事足ります。しかし、物事には必ず「グレーゾーン」が存在し、その曖昧な領域に対して、自身の見解を明確に示し、具体的な指針を与えられる士業こそが「プロ士業」であると述べられています。依頼したい内容が単なるアウトソーシングなのか、それとも内容が複雑でいろいろと考える必要がある「投資」なのかを分けて考えるべきだという指摘は、まさに私が「コンサルタント」として目指すべき姿だと感じました。白、黒、グレーの判断の中で、グレーゾーンについてきちんと自分の考えを伝えることができる士業こそがプロ士業ならぬ、プロのコンサルタントである、というアドバイスとして受け留めることができ、非常に参考になりました。
高齢ドライバー問題への挑戦
現在、私が取り組む高齢ドライバー問題を解決する事業において、いろいろと相談に乗っていただいている専門家の方々からは「免許返納」を推進することの方が事業として成立するのではないか、というアドバイスを多数いただいています。しかし、私はこの免許返納させる事業を「コンサルティング」とは捉えていません。なぜなら、すでに結論やゴールが「免許返納」と決まっているからです。それは、家族に代わって高齢ドライバーを説得し、免許返納を促すという、言わば「アウトソーシング」に過ぎないと考えています。
真のコンサルティングは「どうしたらよいか判断がつかない」という、答えが見えない「グレーゾーン」の問題にこそ発揮されるものだと考えます。依頼主も明確な答えを持たないからこそ、私たちは時間が多少かかっても、そこに付加価値のある仕事を提供できると考えています。それはもしかしたら「いばらの道」かもしれませんが、私たちは高齢ドライバーによる事故が多発している問題に対し、その解決策に明確な正解がない中で、コンサルタントとしての付加価値を提供し、社会に貢献したいという強い思いを持っています。
私たちの活動のスタンスは、高齢ドライバーが運転を続ける前提でコンサルティングを進めています。その一環で考えている運転継続計画(DCP)の策定は、運転を続けることが不可能な高齢ドライバーに無理に運転をさせるという前提ではありません。むしろ、現在の免許返納の基準が曖昧なのを明確化し、適切な免許返納を促進するという役割も果たすことができると考えています。
矛盾の中に生きる私たち
最近私たちの事業内容を説明する機会があり、そのお相手の方からは「自分たちは立場的に(高齢ドライバーに運転を続けさせるという)リスクを冒す行為は難しく、何ごとも安全サイドに立たざるを得ない」と言われました。確かに安全サイドに立つ考え方は理解できますし、事故を起こすリスクを高める行為に加担できないのは当然です。しかし、人間は矛盾の中に生きていると思います。リスクがあれば、それを避ければいい、という単純な話ではない。あちらを立てればこちらが立たずというトレードオフの世界で思い悩むこともしばしばです。
前述の書籍にもあったように、答えが明確な問題であれば、コンサルタントは必要ありません。わざわざ相談するだけ時間の無駄です。しかし、相談したい人は、その答えがわからない、答えを出せないからこそ、助けを求めているのです。その際、違法行為をそそのかすようなコンサルタントであってはなりません。物事の多くは白と黒以外にグレーゾーンが存在します。そのグレーゾーンをどうするかを助言するのがコンサルタントの役目であり、存在意義です。最終的に判断するのはコンサルタントではなく依頼主です。高齢ドライバーの問題についても同様で、私たちは助言やアイデアを出すことはできますが、最終判断をするのは依頼主本人なのです。
そうは言っても私たちも連鎖的な責任を問われることがあるかもしれません。しかし、安全サイドにばかり立っていたら、それこそ、一律である年齢になったら免許返納させる、という話になりかねません。垣谷美雨氏の小説『七十歳死亡法案、可決』では、高齢化社会問題を解決するために日本国民は70歳になったら全員天国に行ってもらう法案が成立するという、フィクションの世界で物語が展開しています。この世界に倣ったら、70歳になったら事故を起こすから、全員免許を強制的に返納させる、そんな事態になる、ということかもしれません。それは高齢ドライバーによる事故が減らすことができる究極の解決策かもしれません。しかし、それが民主主義国家と言えるのでしょうか。
高齢ドライバーの問題は社会問題の一つですが、比較的優先度が低い扱いなのが現状です。しかし、今後ますます高齢化が進み、高齢ドライバーによる事故が発生し、それにより幸せだった家庭が不幸になる。その都度、再発防止を考える、という繰り返しの構図はもうコリゴリです。事故防止は「事後対応」ではなく「未然対応」が基本であり、何よりも重要です。不幸な人が出てから対応するのでは遅すぎるのです。すでに亡くなった方々の無念を晴らすためにも、今こそ立ち上がる時ではないでしょうか。
かつて国会答弁で「善処します」というのが一時流行りましたが、私たちは「どう善処するのか」と具体的な問いに応えたいのです。通り一遍の説得力がない対応では、世論は炎上するだけです。私たちは自分たちの考えが唯一正しいとは思っていません。しかし、誰かが具体的な提言をし、議論しないと何も変わりません。そんな世の中を変えるのは政治家だけではありません。「微力だが無力ではない」と考えている人間が、何とかしようと知恵を絞っていることも、ぜひ多くの方に知っていただきたいと願っています。